日本史
高校生

室町幕府の成立の頃です
Cの年貢の半分を徴発とはどういう事ですか?
また、Gの多くの困難はどのような困難があったのか教えて欲しいです!

(A)次の各文が正しければ○印を,誤っていれば×印を, 解答欄に記せ。 幕府は,田地をめぐる紛争の際の実力行使である刈田狼籍を取り締まる権限を守護に与えた。 p 幕府は,裁判の判決を強制執行する大犯三カ条の権限を守護に与えた。 c半済令は,幕府が守護に対して,一国内の年貢の半分を差し出させることを命じたものである。 D はじめて発布された半済令は, 1年限りで,近江·美濃·尾張の3国に限定されていた。 E 荘園や公領の領主が年貢徴収を守護に請け負わせる村請もさかんにおこなわれた。 E 守護は荘園や公領を侵略して, 城下町を拠点に領国を支配するようになった。 c 守護が,国人と呼ばれた地方在住の武士を家臣化するには多くの困難があった。 H 国人は,土倉や酒屋に対する債務の破棄を求めて, しばしば国人一挨をおこした。 I 協力して一つの目的を実現しようとする際に, 神仏に誓約して一致団結した状態を一味同心という。 I国人一換には, 一挨契状を作成し, 平等や多数決の決定の規約を定めていたものが少なくない。 B C D E F G H I J A (3点×10=30点)
室町幕府 室町時代 日本史 高校生 日本史テスト

回答

まずCの半済令ですが、

半済令とは、一国内の年貢の半分を兵粮米(軍費)
として徴収する権限を認めることです。

1352年に足利尊氏が、近江・美濃・尾張に限定して
臨時で施工されたが、1352年以降全国に拡大しました。

次にGですが、

国人とは、南北朝期以降の地方の在地武士です。
以前の地頭のようなものですよね。

国人は、独自の裁判権などにより紛争解決や農民支配を行い、地域権力を形成しました。
なぜ国人がこのようなことをしたのかというと、
守護が弱く守護の言うことを聞かなかったからです。
だから、守護の支配に対抗して国人一揆を結成します。

少しは助けになりましたでしょうか。
わかりにくければすみません🙇

茄子

ありがとうございます!!

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