薩摩藩がキーワード。
江戸幕府は、正式には中国とオランダのみを窓口にして貿易を許可していた。
薩摩藩は、外様(関ヶ原で負けた)。本来は、江戸幕府の脅威になるから、江戸幕府は、減封かお家断絶をしたかった。
しかし、九州の大名は、薩摩存続を幕府に嘆願する。
薩摩の狂戦士ぶりは、九州に轟いていたし、一時は九州のほとんどを支配していたので、地形にも明るい。だから、浪人になった薩摩武士の九州での狼藉を恐れたのだろうと、個人的には思っています。
歴史では、明治維新をしたのは、関ヶ原で負けた薩長です。
それからも、薩摩は、幕府にいつか取って代わろう(もしくは幕府内で発言力を増そう)と常日頃考えていました。
国力(軍事力)を高めるには、資金がいります。
そこで、幕府の目が届きにくいことを良いことに、琉球を支配していきます。琉球を使って、貿易を間接的に薩摩がしていきます。
質問にあったように物の流れは、中継貿易ですが、薩摩の産物を外に売って外貨を稼ぐという感じだと思ってください。
ただ、変に、海外の物が琉球から薩摩に流れ、薩摩から全国に流れたら、幕府が薩摩藩に介入する口実になります。
どちらかというと、ヤクザ(反社)が、フロント企業を使って、商売をして、そこの利益を上納させる感じです。経済ヤクザのシノギですね。
そして、資金を元に、兵隊(鉄砲玉)をそろえて、倒幕をして良くって流れです。
そう考えると、幕末(明治維新)も、ヤクザの闘争もよく似たものに見えますね。