日本史
高校生
征韓論を唱えた西郷、板垣、後藤、江藤、副島は明治6年の政変で政府を脱退し愛国公党を設立しました。設立理由として教科書には大久保、木戸などの当時の政府首脳が立憲政体を導入しようとしたからだと記載があります。しかし大阪会議では立憲政体樹立の詔が決まりその会議をきっかけとして板垣、木戸は政府に戻ったとも記載があるのですが結局のところ板垣退助は立憲政体に賛成だったのですか?反対だったのですか?
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