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高校生
解決済み

なぜnotとmuchは呼応するのですか?
理由がなければ、そういうものだからと割り切ります。回答者さんなりの考えでも構いません。

回答

✨ ベストアンサー ✨

質問の意図をもう少し正確に理解するために、どんな文をみて生じた疑問なのか、できれば一文まるまる見せていただけるとありがたいかもしれないです。
notとmuchが呼応するという説明がどこかにあったのか、それとも経験的にそう感じたのかも合わせて教えてください〜

ぴーや

例文ですと、
There isn't much I can do to help, I'm afraid.
です。「あまり…ない」という意味を形成するらしいのですが、この呼応というのがイマイチピンときてないです。普通にnot→muchに影響してるで良いと思うのですが、便宜上で呼応と呼んでいるのですか?
文意から判断というより、もっと別の角度からなぜ呼応するのか説明していただけると幸いです。

ののののの

もしかして、訳した日本語のことを言ってますか??
「あまり」がきたら「ない」でおわる呼応の副詞のことを言ってますか?

「あまり〜ない」というのは「意味」ではなく「訳」です。
英文の意味をとらえずに訳した日本語を分析しても、よくわからなくなるだけだと思いますよ。
だって英文の1単語と日本語の1単語が対応してるなんて、決まっていませんから。

ここでいろんな質問を見ていてすごく感じることなのですが、「日本語訳」をいろいろ捻って考えることを「意味」を考えることと勘違いしてる人が多すぎると思います。
高校生向けの英文法の授業が、一表現一翻訳みたいな勉強のさせ方をするから、英文とその日本語訳を単語単位で対応させれば、意味がわかったことになる、と誤解させてるんだと思います。

英語と日本語を単語単位で一対一対応させて、訳してから意味を考えるのは、英語の意味を考えるんじゃなくて訳した日本語の意味を考えてるだけです。

それではダメで、理想は
英文の「形・構造・関係」を分析→英文の意味を掴む→その英文の意味に近い日本語を考える 
ということをしたいのです。

英語は語順が文の意味決める言語です。
英語は、語順が変わったら意味が変わるんです。
だから単語の意味はもちろんですが、文の語順や構造を理解すること自体が、その文の意味を考えることだと言えるんです。

学校とかの授業で、英文を読むときにS・V・O・Cとかの文型をとって文構造を把握したり、文の要素ごとの修飾・被修飾の関係を考えるのは、それによって意味がわかって、どう日本語に訳せばいいかのヒントになるからです。
つまり
英文の「形・構造・関係」→英文の意味→近い意味の日本語というプロセスで日本語訳に到達したいです。
日本語訳の意味を考えるのはそのあとです。

ということで、
意味を把握するために文構造をとります。訳から逆算して考えるのをできるだけ避けて(完全には無理かもしれませんが)、文の形を押さえます。コメント追記します。

ののののの

一番シンプルな文から始めたいので、notを取っ払いますね。
there is構文はS is there「(そこに)Sがある」というSVMの文が倒置されいるので、この文の主語はmuchです。

主語になれるのは名詞だけなので、ここでのmuchは名詞です。「多くのもの」という訳になります。
ですから、there is muchは「多くのものがある」です。

そのうしろ
I can do to helpのまとまりは、Iの前に関係代名詞が省略されていて、このまとまり全体がmuchを修飾してます。
つまり名詞muchは、どのようなmuchなのかというと、
I can do much to help のようなmuchだということです。
「私は助けるために多くのことをすることができる」そのようなmuchです。

なので、notを抜いた文全体
There is much I can do to helpは
「私が、助けるためにできる、多くのものが、ある」
という意味になります。

notをつけた文は、これを否定しているわけです。
notと、muchとかallだとかがつくときに気をつけなくてはいけないことがあって、これこそ日本語と英語の違いになるのですが、

①たくさんある・②ふつうにある・③ちょっとしかない
という3つの状態を考えたときに、There is muchは①の状態を指しますね。There isn't much は①の否定だから②③どちらの可能性も残しています。つまり「多くはない」ということですよね。

「多くのものがある」の否定だから「多くのもの【が】ない」という日本語にしていまうと、③のニュアンスはでますが②の意味までは到達できない感じになるのです。
つまり「多くがない」と「多くはない」の違いということです。

英文の意味をきちんと分析できれば、この英文が表す意味は「多くはない」という意味だとわかります。
そしてmuchにI can do to helpがかかっていて「助けるために出来ることが多くはない」ということだとわかるわけです。
それをこなれた日本語に直して「あまり〜ない」、今回の文なら「あまり手助けできない」というような訳にようやくなってくるのです。

ぴーや

いえ、違います。
notとmuchはなぜ呼応するのかを聞いています。自分が聞きたいのはかなり感覚的で根本的?な所だと思います。英語自体、人間がコミュを取るために出来たものなので理由も無いと思うのですが。

自分の理解不足なのですが、呼応というもの自体不明瞭なままです。呼応というのが、影響しているという意味なのか、それともnotに引っ張られてmuchが出てくるのかという意味なのか。

ちなみに例文や呼応という言葉を使っている参考書は通称名桐原1000という英文法です。

ぴーや

ふたつ目のコメント読ませてもらいました。
単純に、便宜的に呼応と呼んでいるだけ。そもそもの問題呼応という言葉すら怪しいものなのですかね。

notがmuchを否定していると考えて大丈夫ですか?

ののののの

インスピレーションをもらって考えてるうちに、もしかしたら、と思うようになってきました。以下読んでもらって思うことあれば書いていただいていいですか。
すごく勉強になりますね。

少なくともこの文では、おっしゃる通りnotがmuchを否定していると考えるほかないと思います。呼応とかを考えなくても一般的な文法解釈の方法で処理できちゃいます。

呼応というのは、前の表現に引っ張られて後ろが出てくる ってことですよね。
英語だったらso〜that構文は呼応と言っていいんじゃないかと思います。that以下が省略されても、話し手の中ではthat以下が想定されてるだろうし。
日本語の「あまり〜ない」は呼応ですね。話し言葉で崩れることはあっても「あまり」の後ろには否定的な意味の表現がくる点に「ない」のニュアンスを感じます。

ただ、たしかに
①muchやmanyは否定文で使う、肯定文ではa lot (of)が良いとされることとか
②at allとかnoとかが何もないただのnotだけの否定文は、「ない」とはいっても「多少はある」ことを指す場合もある。潜在的にmuchの意味が含まれているような感じ。

こういう点を踏まえると、notに引っ張られて(潜在的には)muchが出てきていると考えてもさほどおかしくはないような気もします。
ただ、notに引っ張られてat allとかが出てくることもあるわけで、毎回ではない点がちょっと呼応と呼ぶには不足する感じもします。

so〜thatとかnot only but alsoとかは、前半を見ただけで、仮に後半が省略されても、毎回想定できますからね。

ぴーや

返信遅れてしまい申し訳ないです。
日本語訳自体がケースバイケースなので当たり前ですが、自分が聞きたかったのは恐らく、この文では一概にnotから呼応されてmuchが来るとは言えないのではないのか?というものだったと思います。貴方様がおっしゃるように、notの後にat allが来るように一概には言えないケースがあるためです。

ただ、コメントを読ませてもらい、改めて考えてみると、
much自体が肯定文不可前提の言葉で、不可算名詞の単数形をとてつもなく大きい(ニュアンス的には-∞〜+∞で合ってますか?)と表す時に使う言葉なので、前提条件からnotなど否定がくることは当たり前なので、muchを「主体」として考えた時には、呼応と呼んでもおかしくはないのかなと、自分も思いました。
恐らくですけど、形容詞の語法として扱われおり、つまりmuchやmanyを主体として扱っているため、呼応として呼んだのかなと思いました。

日本語訳の事についても腑に落ちました。ありがとうございます。

すみません、長々とこんなにも時間と労力を割いてくださり、大変助かりました!また機会が有れば、自分はまた質問する側ですけど、回答よろしくお願いします!

ぴーや

なので形容詞に注目して見た時には、not→muchを呼応と呼んでも良いのでしょうね。
notに着目すると、それは少しおかしいものなのかなも思います。

ののののの

頭いいならなんでしょうけど、次質問していただける際にはもう少しかみ砕いて説明してもらえるとありがたいですね。笑

たぶん自分のなかでこれはこうだと結論が出ているところをすっ飛ばしたり、独自の言葉遣いを説明なしに使うから、伝わるものが伝わってないと思います。
当たり前だと思うことも省かないで言語化したり、自分の言いたいことをできるだけ漢字ではなくひらがなで表現するように心がけていただくといいかなぁと。
議論が深まりきらなくてもったいない。私の理解力不足なだけなのかもしれませんが。

前提条件からnotなど否定がくるのが当たり前な【ので】、muchを主体として考えたときには呼応と呼んでもおかしくない

ここはさっぱりわからないです。
・【ので】の因果関係がわからない
・muchを主体として考える、ということがどういうことかわからない。muchを主語にするということですか?

その続きの文の
・形容詞の語法として扱われておりつまりmuchやmanyを主体として扱っている
とかはさっぱりわからないですね。
文の中で主体あるいは主題となるものが主語ですから、主語になれるのは名詞だけなので、形容詞は主語になれません。

ちなみにmanyは形容詞的な使い方がほとんどですが、muchは名詞副詞形容詞いろいろなれます。そしてどの品詞のときも否定文や疑問文で使うことが多いです。
私が上で説明した内容も、muchがどの品詞で使われていても成り立つと思って書いています。

コミュニケーションのための言語で、コミュニケーション不足になってちょっと欲求不満ですが、自分のなかでもかみ砕いて宿題にしますね。

とりあえずここで議論自体やめたいと思います。
とても勉強になりました。以下ご返答不要です。
ありがとうございました。

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