日本史
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紫の印のところどういう言葉を入れたらいいと思いますか?!

日本史Bプリント NO,21 @p.60~ 武士の台頭による、その後の社会の 変化について考察する! 2. 清和源氏と武士団 * 桓武平氏 - 桓武天皇のひ孫高望王の子孫 武士の二大勢力 *清和源氏 清和天皇の孫源経基の子孫 ○清和源氏の台頭 *941年 源経基は、瀬戸内海で起きた_(1 )の乱を鎮圧 1もYa せっつ * 東国の国司を歴任した_(2 満仰 )は、摂津 (大阪) に土着して勢力をのばす より ふ → 満仲の子の頼光と_(3. )は、貴族らの警備をつとめるなど摂関家に接近 っ。 → 1028年~(4 )の乱を平定し、清和源氏の東国進出のきっかけをつくる *ん 。ん ☆1051年~1062年(5 九年 陸奥(岩手~宮城) 北部の豪族安倍氏が国司に反抗して戦争がはじまる そとa よりよし → 陸奥守·鎮守府将軍の_(6. )が鎮圧 ましい。 → さらに頼義は子の_(7 )とともに東国の武士をひきいて戦い、安倍氏を滅ぼす さい ト がっやん ☆1083年~1087年(8 陸奥·出羽(秋田~山形) で強大化した清原氏の内紛 → 義家が介入し、藤原清衡を助けて争いを平定 ア2つの合戦を通して、 清和源氏と東国武士団の結びつきが(
つた。 ぜんくねん 0 むっ 源氏と東国との結びつきは, 前九年合戦で強まった。当時, 陸奥で ごうぞく あべ は豪族の安倍氏が勢力をもち, しばしば国司と争っていた。頼信の子 よりよし むつのかみ ちんじゅ ふ の頼義が陸奥守· 鎮守府将軍として現地にくだると,安倍氏は乱をお 988~1075 よしいえ でわ こした。頼義は子の義家とともに, 東国の武士をひきいて戦い, 出羽 の豪族清原氏の援助をえて, 安倍氏をほろぼした。 1039~1106 きよはら 大 こののち,安倍氏にかわって勢力をえた清原氏一族の争いがおきる かいにゅう と,陸奥守·鎮守府将軍であった義家はこれに介入し,清原氏一族の ふじわらのきよひら ごさんねん 2) うち藤原清衡を助けて,争いを平定した(後三年合戦)。これらの戦い 1056~1128 しゅじゅう とうりょう を通じて,源氏は東国の武士と主従の関係を結び, 武家の棟梁とあお がれるようになった。 各地の領主として成長しつつあった武士たちは、 しりょう 私領の拡大や保護を必要とした。その求めに応じることで, 義家は彼 け にん3 らを家人として組織したのである。

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