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第2次山県有朋内閣の時に改正された文官任用令は、藩閥の人が賄賂などで政治家になるのを防ぐため ということですか?

回答

✨ ベストアンサー ✨

第二次山県内閣における文官任用令改正は、政党の勢力を抑えるためのものです。

もともと内閣と政党は仲がよく有りませんでした。内閣は「超然主義」を標榜し、政党の影響は受けないという立場を取ったからです。
しかし時代が流れるにつれて、政党の勢力はどんどん大きくなっていきました。政党の力を無視できなくなった内閣は、しばしば政党の人間を国務大臣として採用し、逆に政党の力を利用する方針を取りました。松隈内閣や隈板内閣はその代表例です。

第二次山県内閣も、最初は(旧自由党の)憲政党と手を組んでいましたが、悲願だった地租増徴案を可決されると、一転して政党と距離を置く姿勢になりました。この流れで行われたのが文官任用令改正と軍部大臣現役武官制です。
それまでは、文官は誰でもなることができましたが、改正後は高等文官試験(今の国家公務員試験です)の合格者しかなれなくなりました。
軍部大臣現役武官制は、そのままの意味です。軍部大臣になれるのは現役の軍人だけになりました。
いきなり政党との距離を置いたのは、山県が軍の人間であったことも関係しているでしょう。

以上の政策により、憲政党は山県との協力体制を打ち切り、伊藤博文と手を組もうと画策します。
当初は伊藤博文も超然主義の立場でしたが、この頃は政党の力を認め、自らも政党結成を図っていました。
こうして結成されたのが立憲政友会です。

プリン

ありがとうございます。とても分かりやすかったです!

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