✨ ベストアンサー ✨
既に高校日本史では、聖徳太子が冠位十二階/十七条の憲法/遣隋使の派遣の功績を残した、という書き方はされていないんですよね。
聖徳太子のモデルとなった人物である厩戸皇子(うまやどのおうじ)/厩戸王(うまやどのおう)は、実際に存在していたとされています。彼は天皇の子であったため皇族であり、推古天皇に協力したということまで事実だそうです。
ただし、歴史書などで分かっているのは、「推古天皇の時代に厩戸皇子という皇族がいた」ということと「推古天皇の時代に冠位十二階/十七条の憲法/遣隋使の派遣がされた」ということだけで、聖徳太子(厩戸皇子)の功績とは分からないそうです。
しかし後世になって、推古天皇の時代に聖徳太子という人物がいて、十七条の憲法などを定めるなど素晴らしい政治をした、という話が語られ、10人同時聞き取りなどの逸話が付け加えられたと推測されているのです。
聖徳太子は初めて摂政になったとされていますが、事実として判明してる限りの初めては平安時代の藤原氏です。
(摂関政治、として中学社会でも習うことですね)
ちなみに私が小学生だった十年ほど前でも「聖徳太子はいなかったかもしれない」と習った記憶がありますし、中学での教え方は今でも変わっていないので、「聖徳太子は居なかったからその答えはバツ!」ってされることは無いはずですよ。