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「清以外にも中国(清)の中で対立」という意味が少し分かりにくいのですが、「清の中で(民族などの)対立があったか?」という質問で大丈夫ですかね?

一応、清は満州族(中国の北東にいた遊牧民族)が建てた国で、漢民族は被支配の立場にありましたが、漢民族も役人に登用されましたし、そもそも300年近く続いた王朝ですので、辛亥革命で民族的な国内対立という側面は薄いです。

宗教結社である義和団が列強の支配に抵抗運動を起こし日本・ドイツの外交官が殺害された義和団事件(1900年~)では、清が味方して宣戦すると8カ国から攻撃を受けて清が敗北します。また、その数年前には日清戦争(1894年~)で清は敗北していますね。

このように列強に負け続けた清が、日本や西洋式の改革を進めるのですが、国内からは『列強に負け続けるうえにまた改革やるのか!清なんて倒してしまえ!』と、民衆の不満が爆発します。

このため「民族の独立」は一応「漢民族の(満州族の国である清からの)独立」ではあるのですが、基本的には『列強国の支配からの独立/近代国家の設立』という側面のほうが強いのです。

その革命の結果、孫文が指導者(臨時大統領)になるのです。

なるほど!つまりは義和団に味方した清は欧米列強に負け続けたのに、それでも改革を進めるので、国内で不満が爆発清を倒そう!となったのですね。

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