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関税自主権はなぜ認められるようになるのが遅かったのですか?

回答

✨ ベストアンサー ✨

そもそも、関税自主権は、領事裁判権とセットで「不平等条約」という風に呼ばれていますよね。なぜ、日本が外国から不平等条約を結ばされるのか。それは、日本が舐められていたからです。
日本は日清戦争に勝つ前まで、各列強の国々に、日本は大して強い国ではない、と思われていました。しかし、日本は日清戦争に勝利します。当時、莫大な人口を抱えている清は、列強からも「眠れる獅子」と呼ばれるほど強い国だと思われていました。それが日清戦争で覆ってしまったわけです。これで、少し日本の立場が強くなったのが分かりますね?
そして、その後領事裁判権撤廃のきっかけとなるノルマントン号事件が起こります。(ノルマントン号事件について知らない場合は、また聞いてください。)ここで、以前よりは立場の強くなった日本が、これはおかしいぞ、とイギリスを責めたことで、とか、まぁ国際情勢諸々の話もあり、運良く領事裁判権を撤廃できましたし、同時にここで関税自主権の一部を撤廃することにも成功しています。良い「きっかけ」があったということです。
関税自主権は、そんな好機には恵まれず、小村寿太郎が一生懸命頑張りました。

長くなってしまいましたが、質問に超簡潔に答えると、関税自主権の回復が遅れた、というよりかは領事裁判権撤廃のタイミングが良かった、関税自主権はいいチャンスに巡り会えなかった、というイメージですかね。

こちらのサイトが参考になります、私が説明したのと違う理由も書いてあり面白いです。授業ではここまで深く学習しないと思いますが、その他の情報も頭に入りやすくなると思うので見てみてください!
陸奥宗光(領事裁判権)

https://colorfl.net/mutsumunemitsu-ryojisaibanken/

小村寿太郎(関税自主権)

https://colorfl.net/komurajyutaro-kanzei/

長々と失礼しました!

soRa

詳しい回答ありがとうございました!

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