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 ヨーロッパ人が、我々に伝えた代表的な物に、キリスト教と鉄砲がある。それを最初に利用した人が、織田信長だ。力を急速につけた彼は、室町幕府の将軍である足利義昭を頼り、京都に上洛した。しかし、足利義昭と仲違いしてしまい、室町幕府の拠点である京都から将軍を追放した。怒った義昭は、自分の武力では解決できないので、信長包囲網を諸国の大名に呼びかけた。その中には、仏教勢力と騎馬隊で有名な武田がいた。仏教勢力と対抗するために、キリスト教を利用した。また、騎馬隊を倒すために、鉄砲の新たな戦い方である三段打ちを生み出して、武田家は滅亡した。
 しかし、信長は家臣の光秀に裏切られて、本能寺で亡くなる。信長の後継者として、光秀を討ち取った豊臣秀吉が有力となる。信長の後からは、鉄砲を使った戦いが主流となる。信長の側で詳しく見てきた秀吉は、わずか8年で天下統一を果たす。国内は平和になったように思われたが、秀吉が欲望をもち、朝鮮出兵をした。それが失敗に終わったこともあり、権力は衰退した。秀吉の死後、秀吉の重臣であった徳川家康は、関ヶ原の戦いで勝ち、秀吉側の兵を殺した。が、まだ豊臣秀吉の息子である秀頼が生き残っていた。豊臣家を滅亡させないと、自分達の一族の政治は安泰ではないと思い、豊臣氏を滅亡させ、平和な世界が作りあげられた。
 ヨーロッパ人との出会いを経て、新たな価値観が生まれたとともに、戦争は活発になった。平和を作るために戦争を行い、その武器をヨーロッパ人は我々に与えた。

小西行長

長いですが、うまくまとめてみてください。

ありがとうございます🙇‍♀️
次の授業までに頑張ってまとめます!!

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