✨ ベストアンサー ✨
そもそもなぜ、御成敗式目が制定されたのか。
承久の乱のあと、御家人が地頭として各地に進出すると、御家人と荘園領主との争いが増え、裁判の基準をつくる必要が起きたのです。
また、御成敗式目が制定されるまでも、政治制度を記載した法律や律令は存在していました。しかし、それらを作ったのは公家や貴族たちだったので、武家社会となった当時の慣習や文化とは合っていませんでした。
これは、御家人達が源頼朝のときから守ってきたきまりや武家社会の道理を重んじています。
よって、
(問3)
裁判の基準を定めるために、御家人に対して制定された。
(問4)(問5)に関しましては、質問者様の資料不足で、お答えすることができません。
ありがとうございます。
では、お答えさせていただきます。
(問4)
③の足利義満が実権を握っていた時代=室町時代
aの文章→観阿弥世阿弥が能を発展=室町時代
bの文章→平家物語や新古今和歌集=鎌倉時代
資料5東大寺南大門=鎌倉時代の建造物
資料6鹿苑寺金閣=室町時代の建物(京都にある足利義満の別荘)
よって、答えは(イ)となりますね。
(問5)
(1)聖堂学問所
(2)P:フランス革命が起こった時期の日本は、寛政の改革が行われていた。=正
Q:宗教改革の時期→織田信長の時代=誤
R:ラクスマンが来たのは、寛政の改革が行われていた時期=正
よって、答えは(ア)となります。
丁寧に教えてもらえたので、理解できました!
ありがとうございました☺️
問4、問5の足りなかった資料はこれです。
すいません🙏