歴史
中学生
解決済み

『古事記』や『日本書紀』が作られた理由はなんですか。
教えてください。お願いします。

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第40代天武[てんむ]天皇は、天皇を中心とした政治体制の整備にとりかかります。しかし、「帝紀[ていき](歴代天皇の即位から崩御までを記録したもの)」や「旧辞[きゅうじ](神話などの伝承を記録したもの)」などの歴史書は、多くの人が加筆した結果、歴史書としての価値に疑問符がつくようになったため、新たな歴史書(古事記)を編纂[へんさん]することにし、天武天皇は聡明な稗田阿礼[ひえだのあれ]に命じ、それらを整理させました。ところが整理にかなりの時間を要し、天武天皇の在位期間には完成かなわず、第43代元明[げんめい]天皇の代まで引き継がれます。
元明天皇は太安万侶[おおのやすまろ]に未完成だった古事記の編纂を命じ、和銅5年(712)にようやく完成しました。完成した古事記は上中下3巻から成り、上巻はイザナギやイザナミなどの神話、中・下巻では初代神武[じんむ]天皇から第33代推古[すいこ]天皇までの事業が記されています。古事記には、日本の成り立ち、日本人や天皇とは何なのかといった日本人のルーツを後世に伝え、夫婦関係、人間関係の在り方などが記載されているところに面白みがあります。古事記を知ることは、日本という国の歴史を知ることであると同時に、日本人の起源・価値観を知るということなのです。

天武天皇は稗田阿礼に編纂を命じた「帝紀」、「旧辞」とは別に、息子の舎人親王[とねりしんのう]や忍壁皇子[おさかべのおうじ]、天智[てんぢ]天皇の子・河嶋皇子[かわしまのおうじ]など12名に命じ、「帝紀」、「旧辞」に各地の風土や貴族の個人的な記録、中国や朝鮮の史書も加えたうえで、国の歴史をまとめることにします。これが日本初の勅撰国史[ちょくせんこくし]であり、令和2年で編纂から1300年を迎える日本書紀です。古事記と大きく違うのは、全30巻に天皇の系図1巻を加えた構成で、神代の時代は1、2巻のみ、残り28巻は初代神武天皇から第41代持統[じとう]天皇まで、天皇の業績や歴史上の出来事が年代順で記されています。
古事記は天皇家統治の正当性を国内に示すために編纂されたと考えられていますが、日本書紀は天皇の記述が多く、漢文で書かれていることから、当時交流のあった中国など諸外国に、日本は神の御子[みこ]である天皇が支配している国であることをアピールするために編纂されたと考えられています。
引用させていただきました。

☁️

すごくわかりやすく、丁寧にありがとうございます。

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