キリスト教を布教を防ぐためです。
実際は豊臣秀吉が織田信長の「キリスト教保護令」を引き継ぎ、布教も容認していましたが、1596年に起きた「サン・フェリペ号事件」などをきっかけに禁教令を出し、キリスト教への警戒を強めるようになりました。(外国との交易を禁止したり、キリスト教徒を迫害したりしていました)
1637年に起きた島原の乱(長崎)は、キリシタン迫害に対する反発(一揆)であり、幕府はこの乱を鎮圧した後、国を乱す元凶になるとしてキリシタンへの弾圧を加速させ、鎖国の完成を進めていきます。
当時の幕府は、日本が諸外国から植民地とされることを防ぐために、キリスト教徒やその宣教師の母国を遠ざけていたいうことですね!