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広田弘毅内閣は問題を起こした退役軍人の影響を排除するためという名目で軍部大臣現役武官制を復活させた。

とまあwikiに書いてあったのですが、実際の理由はなんですか?辞書には2・26事件後の大異動を処理するため大臣の人事権を確立する必要から。と書かれていました。しかし、この現役規定は人事権をみづから手離すことになると思います。山県有朋は軍人なので現役規定を定めるのは納得なのですが、広田弘毅は違うはずです。解説お願いします。

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まず2.26事件後、陸軍では「粛軍」と呼ばれる大規模な人事異動が行われました。早い話が、皇道派の一斉排除です。そのため陸軍大臣には陸軍内で反対がでないような人物を入閣させる必要がありました。そこで白羽の矢が立ったのが名門中の名門である寺内正毅の息子、寺内寿一大将が選ばれます(彼は参議官なので武官ではありません)。
彼は入閣後、広田弘毅首相にある要求をします。それが軍部大臣現役武官制の復活です。寺内陸相は広田弘毅首相にこう問います。
「真崎大将(皇道派が担ぎ上げた人物)は二・二六事件後に予備役になりましたが、彼のように現役でない軍人が陸軍大臣になってしまった場合、総理はどうしますか」
とどのつまり、wikiの「退役軍人の影響排除」というのは、軍部の管轄外の人物が好き勝手やってもらっちゃこまるという意味です。こうして寺内陸相に説得された広田弘毅首相は、軍部大臣現役武官制を復活したのです。

ゲスト

納得いきました。事件後にそんな話があったのですね。これで忘れなくなりそうです。ありがとうございます。

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