Japanese history
SMA
Terselesaikan

日本史です。
下線部について、なぜ頼家は比企能員と北条氏を倒す計画を立てたのですか?頼家からしたら北条政子は母、北条時政は祖父にあたるのではないですか?

握ろうと考えたわけです。北条時政とまったく同じやり方です。 倉幕府の成立 比企能員は頼家を焚きつけます。そして比企能員と頼家は、1203年に、 北条氏を倒す計画を立てるのです。しかし、この計画は事前に発覚し、失 敗に終わります。比企能員と頼家の子の一幡 1 比企氏の乱

Answers

✨ Jawaban Terbaik ✨

「頼家が」というより「比企能員が」ですね。
比企藤四郎能員は武蔵国の比企郡という場所を本貫地とした武蔵武士です。親族には頼朝の乳母を務めた比企尼という女性がいたことで、鎌倉幕府で頼朝に優遇されます。そしてその関係などから比企能員の娘若狭局という女性が頼家にみそめられ、彼らの間に待望の男子が生まれます。このまま行くとその男子が将来の将軍候補であり、そうなれば比企能員は次期将軍の外祖父の地位を手に入れることができます。

これは北条時政のかつての立場に近いものです。北条氏も元は伊豆国のちっぽけな土豪程度のものでしたが、偶然頼朝にみそめられた結果大出世をしたという過去があります。このまま行くと北条氏の天下が終わってしまう危機がありました。また北条氏の天下の為に武蔵国へと進出したい思惑があったとされる時政は武蔵武士の比企能員と対立するようになります。
後はそこに書いてある通り、比企能員側から頼家に働きかけて北条氏排斥に動こうとしたものの、その動きを逆に察知され、比企能員はまんまと時政に誘き出されて暗殺され、その他比企一族郎党は大軍でもって攻められてその悉くが死亡したと伝えられます。
因みにこの後畠山次郎重忠が誅殺されますが、彼の妻は時政の娘(政子の姉妹)に当たる人物です。結果的に見れば、血縁関係よりも時政は畠山次郎重忠が保有していた武蔵国惣検校職を奪って、武蔵国の支配権を次郎重忠から分捕りたかったという事になりますから、血縁関係においても今とは価値観が全く違うという事ですね。

結局は各地の軍閥のような存在で本来相容れない武士団同士を頼朝のカリスマ性と共通の敵の二つで結びつけていたものの、カリスマは死に、共通の敵も居なくなった今、やる事は内ゲバなんですよ。そして比企派閥と北条派閥に分かれ、妻の実家比企派閥についた頼家はその後悲劇の運命を迎えることになるのですが、その話はまたいずれ…

˘o˘̥

すごい😭😭詳しくわかりやすくておもしろい解説ありがとうございます😭😭たしかに価値観が今と違うからだと納得できました 頼家の悲劇もすごくきになりますね🥹

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Apa kebingunganmu sudah terpecahkan?