Japanese history
SMA
Terselesaikan

分からないので教えてください🙇‍♀️
1枚目が問題です
2,3枚目は教科書です

問3 下の表は、源頼朝がどのように権限を獲得していったかまとめたものです。 )の設置 表の空欄に当てはまるものを書き込みましょう。 ※ヒント: 教科書P72~73 の本文に答えがあります。 1180年 (A: 各2点 武士を統率するために設置。 じゅえい 1183年 寿永二年十月宣旨 朝廷に(B: 東国 一帯の支配権を承認される。 (C: ) せいむ 1184年 (のち D: ))の設置 (E: )の設置 ざいむ 政務や財務を担当する機関。 そしょう 訴訟を処理する機関。
3 源平の争乱と鎌倉幕府の成立 ? 鎌倉幕府はどのよ うな特徴をもった政権 だったのだろうか。 源平の争乱 じ しょう つながり 鎌倉に新たな武家政権が成立した (-0.69) 安徳天皇を擁して権力をふるった平氏助 権に対して,不満と反発の動きが強まり、 ごしらかわ もちひとおう みなもとのよりまさ 1180 (治承4)年5月, 後白河法皇の皇子以仁王が源頼政の武力を (p.69) 1151~80 しんのう りょうじ ●親王や皇族の命令書。 よしなか きょへい べっとう わだよ ②侍所の別当 (長官)には和田義 の源義仲らが挙兵すると,平氏に抑圧されていた各地の武士たちが 頼って挙兵した。 この挙兵は失敗に終わったが,平氏打倒をよびか けた以仁王の令旨が各地の源氏にもたらされ, 伊豆の源頼朝、信濃 1105~80 いず よりともの 1147-99 盛が任命された。 おおえのひろもと ③公文所の別当には大江広元, 問注所の執事には三善康信が 任命された。 彼らは公家出身 の官僚で頼朝に招かれて幕府 を支えた。 ▼ 源平の争乱 1154 84 おう T これに呼応し、内乱はまたたく間に全国に広がった。 たいらのきよもり せっつ ふくはらきょう 平清盛は摂津の福原京への遷都を強行したが,貴族や大寺社の反 対により約半年でふたたび京都に戻った。平氏は各地の反乱勢力を じゅえい ききん きっ 鎮圧できないまま,清盛の突然の死や西日本を襲った大飢饉によっ て基盤が弱体化し,1183 (寿永2) 年, 北陸で義仲軍に敗北を喫する と,安徳天皇とともに都を落ち西国へと逃れた。 ごとば 国地)を置くこと 5 に認めさせた。国地頭の 何 ( 国の軍事・警察は守護に引き 1189(文治5)年、頼朝は、義 滅ぼし、翌年、挙兵後はじ 衛大将に任じられた。1192( に任じられ、鎌倉を拠点と 鎌倉幕府と朝廷 京都に残った後白河法皇は,後鳥羽天皇を即位させて政権を維持 位 1183~98 じょうらく し,義仲に平氏追討を命じる一方, 東国の頼朝に上洛をうながした。 よしつね のりより 頼朝は弟の源義経・範頼を派遣して義仲を滅ぼし,その後,平氏を ?~1193 「召しま 11598 ぬき いちのた ぶんじ 摂津の一ノ谷,讃岐の屋島の戦いで破り, ついに1185 (文治元)年, だんのうら 長門の壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした。 さがみ かまくら 源頼朝は挙兵後, 相模の鎌倉を本拠地と定 年月 出来事 1180.5 以仁王・源頼政挙兵 6 福原京遷都 (11月還都) 8 源頼朝挙兵 ① 9 源義仲挙兵 .10 頼朝 鎌倉入り ② 1181.閏2 平清盛没 (64歳) なが ようわ 4~ 養和の飢饉 1183.5 平氏軍, 北陸攻め 3 7平氏都落ち, 義仲入京 .10 後白河法皇,頼朝の 東国支配権を認める 鎌倉幕府の成立 さむらいどころ みやこお 1184.1 源範頼義経上洛 ④ |義仲敗死 に,まず侍所を設置した。 1183年, 平氏が都落ちすると、頼朝は朝 20 5 せんじ ⑥ 廷に東国一帯の支配権を承認され(寿永二年十月宣旨), 反乱軍とし 1185.3 平氏滅亡 7 189.9 頼朝, 奥州平定 8 ころもがわ ⑧衣川の戦い 1189.閏4 平泉 源義仲の進路 おもな戦場 くりからとうげ 源範頼の進路 頼朝の進路 源義経の進路 一ノ谷の戦い 1184.2 ●屋島の戦い 1185.2 壇ノ浦の戦い 1185.3 厳島神社、 O 勝浦 ③倶利伽羅峠の戦い 仲の動き 範頼の動き 1183.5 ② 義経の動き 頼朝の動 (→ p.79) めると、味方についた武士を統率するため て関東を軍事制圧していた頼朝の立 場は治安維持の武力として公認され ることになった。さらに頼朝は平氏 との戦いを続けながら,政務を担当 くもんじょ まんどころ する公文所(のち政所),訴訟を処理 またいじょう りょうあんど こんぽん ⇒ た。幕府の根本は将軍と後 当初から、味方となった 領安堵や、平氏から没収 の土地の地頭に任命し て、戦時の軍役や、平 15 の御所警固(鎌倉香役 御家人は、荘園や公 ぐんやく どの警察権を担った へのへの 維持と警察権を しかし軽さは もんちゅうじょ する問注所を設置して幕府の政治機 ③2 構を整備していった。 1 石橋山の戦い 1180.8 平氏滅亡の後、義経が頼朝に敵対 すると,頼朝は逃亡した義経を捜索 そうさ うじがわ ④宇治川の戦い 1184.1 ②富士川の戦い 118010 するという名目で,西国の国々に, はしやすめ 幕府とは本来, 出征中の将軍の陣営のことをいい、 鎌倉時代には将軍の政庁を幕府といったが, 鎌倉幕府という言葉はなかった。 箸休め 武家政権を幕府とよぶようになったのは江戸時代中期以降である。 私から与えら 熱としている
平 が強まり、 の武力を をよびか も 信頼 ーたちが 鎌倉幕府の機構 将軍 連 執権 中央(鎌倉) 地方 -侍所10 公文所→政所 1225 1184 1184 1180 - 問注所 16 評定衆12・引付衆24 京都守護18→六波羅探題 - 鎮西奉行1→鎮西探題 奥州総奉行10 地頭18→守護 * 数字は設置年 承認 本家 It ・朝廷 幕府 将軍 知行国主 I t 領家 国司 ++ 任 t (預所) 命 奉 奉 命 (目代) 年 公事 ↑ 官物・臨時雑役 地頭 御家人 地頭 地 荘官 郡司 郷司 保司 百姓 百姓 荘園 ▲3荘園公領制のしくみ (鎌倉時代) 鎌倉幕府は平 氏から没収した所領に地頭を任命し、 荘園領主 (本家・ 領家) 国司に年貢などの納入を義務づけ, 荘園公領 制を維持し安定させた。 たんべつ しょう ひょうろうまい ◆院政期 のもの ( P.67) 比 べてみよう。 喫する 国の軍事・警察権は守護に引き継がれた。 しゅご (p.92) 社の反 勢力を よっ 地頭 (国地頭) を置くこと, 段別5升の兵糧米を徴収することを後白 河法皇に認めさせた。 国地頭の兵糧米徴収は翌年廃止されたが,諸 じとう くに (p.69) けんきゅう 5 め滅ぼし、翌年, 挙兵後はじめて上洛して後白河法皇に謁見し右近 1189 (文治5)年, 頼朝は, 義経をかくまっていた奥州藤原氏を攻 おうしゅうふじわらし (p.bith この ▲4 源頼朝像 甲斐善光寺蔵 三維持 たいしょう 衛大将に任じられた。 1192 (建久元)年, 法皇の死後には征夷大将軍 せいいたいしょうぐん (p.52) ●した。 氏年 氏を 鎌倉幕府と朝廷 に任じられ、鎌倉を拠点とした武家政権が名実ともに成立した。 鎌倉幕府は,東国を基盤としながら全国 めいじつ の軍事・警察権を担った軍事政権であっ 年, こんぽん ごけにん しゅじゅう 10 た。幕府の根本は将軍と御家人との主従関係にあり、 頼朝は挙兵の しんおんきゅうよ 領安堵や、平氏から没収した所領を与える新恩給与をおこない、 そ ごおん ほん 一定 当初から、味方となった武士に,もともとの所領の支配を認める本 りょうあんど こめ 朝 の土地の地頭に任命した。 御家人はこうした将軍からの御恩に対し ぐんやく だい けいご おおばんやく て、戦時の軍役や, 平時の京都での内裏の警固 (京都大番役), 鎌倉 立 15 の御所警固(鎌倉番役) などの奉公をおこなった。 地頭に任じられた 2 ほうこう 御家人は、荘園や公領の年貢徴収のほか,所領内の犯罪人の逮捕な どの警察権を担った。 また諸国に置かれた守護は,その国の御家人 さいそく む ほんにん (→ p.92) への大番役への催促や, 謀叛人の逮捕, 殺害人の逮捕などの治安の 維持と警察権を担い, 戦時には国内の御家人を統率した。 ぼうだい 20 しかし朝廷は依然として全国にわたる行政権をもっており,貴族 や寺社は知行国や膨大な荘園群を領有し,西国には幕府に属さない 武士や幕府の支配のおよばない地域も多く存在した。 頼朝自身も朝 ごぶんこく ごりょう ④これが守護・地頭の設置とい われるものである。 国地頭は のち守護に引き継がれ, 源頼 朝が挙兵直後から荘園や公領 に置いた地頭 (荘郷地頭) は事 実上容認された。 廷から与えられた知行国(関東御分国) や荘園(関東御領)を経済的基 盤としている点では貴族と共通する側面をもっていた。 ⑤土地の給与を通じて主従関係 が結ばれる制度を封建制度と いう。 さいく だいぼん ⑥守護の職権を総称して大犯三 カ条という。 ただし大犯とは 重大な犯罪のことをさしてお り大番催促を含まないこと, また鎌倉時代の用例が見られ ないことから, 「関東御下知 三カ条」 とよぶべきだという 見解もある。 まとめの問い おんげち ①平氏政権と鎌倉幕府の相違 点と共通点をまとめて う。 ②内乱のなかで源頼朝はどの ような権限を獲得していっ たかまとめてみよう。 深める 鎌倉幕府の成立によって荘園公領制のしくみはどのように変化しただ ろうか。 第2章第1節 中世への転換 73

Answers

✨ Jawaban Terbaik ✨

p.72に書いてありますよ。よく読みましょう。

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