✨ Jawaban Terbaik ✨
合ってます🙆
当時の流れも一緒に載せときますね。
その北条氏の嫡流のことを得宗と呼びます。元寇の後、日本は3度目の襲来に備えて、より御家人(武士)を統率するために支配を強めました。その結果、北条氏の中でも、北条氏本家の血を引く得宗が力をつけ始めます。→得宗専制政治
得宗の力が強まると、得宗の家臣である御内人や御内人の代表である内管領も力を強めます。実際に内管領の平頼綱は有力御家人の安達泰盛を滅ぼしました。
→霜月騒動
このように得宗家が力を強めたのは、単に九州の支配権を強めたからだけでなく、幕府の家臣である御家人の力が弱まったことも挙げられます。
その御家人の力が弱まった背景には、蒙古襲来で頑張ったのにご褒美を貰えなかったことが挙げられます。なぜ、ご褒美が貰えなかったというと、ご褒美は基本的に土地を与えることなのですが、蒙古襲来では攻めた敵を追い払っただけで敵から土地を奪えず、ご褒美として与える土地が獲得できなかったからです。
長文すみません🙇♂️