✨ 最佳解答 ✨
日清戦争後、イギリス・フランス・ドイツ・ロシアの中国進出が進みました。
この外国の支配への抵抗勢力が、「義和団」です。
清は、義和団による民衆蜂起を鎮圧しようとしますが、北京を占領されると、一転。
義和団を支持し、列強に宣戦布告します。
(これを、義和団事件といいます)
しかし、イギリス・アメリカ・ロシアなど8カ国の列強による連合軍が、すみやかに北京を奪回し、清を降伏させました。
その後、北京議定書を結んで、列強による中国分割が進みます。
ロシアは、これをきっかけに、満州を実質的に支配しました。
満洲は、韓国に隣接しています。
ロシアのさらなる進出を恐れた日本は、韓国での利権を守るため、ロシアを敵視するようになります。
1902年、同じくロシアの進出を警戒するイギリスとの間に「日英同盟」が結ばれました。
1904年、日本はロシアに宣戦布告して、日露戦争になりました。
(イギリスは南アフリカ戦争の直後だったため動けず、結局日本は、単独でロシアと戦うことになりました)
すいません、はるさんの回答に補足させてください。そもそも、清はアヘン戦争などで、負けた後も眠れる獅子(ライオン)として恐れられていましたが、日清戦争で近代化したばかりの小さな🇯🇵に負けたので、ヨーロッパ諸国はここぞとばかりに清を植民地にしようとしました。清は、外国に賠償金を払うために国民に重税を課しました。これに国民が怒って始まったのが義和団です。なんか、あまり関係無いかも知れないけど、言いたかったんで言いました。余計なことだったらごめんなさい
そうなんですね!
わざわざありがとうございます☺️
なるほど!
丁寧にありがとうございます☺️