9 世紀のアジア・アフリカ地域では。 イスラム教の広がりとともやに,
アッパース朝の領内外において諸王朝が自立しは
じめる。イラン系の (
1 ) 朝は, 946 年にアッパース朝の都を占領し, カリフに代わって一幼の政治的権限を握るま
でになった。 さらに, ) 奴隷軍人として活躍したトルコ人たちゃも自立しはじめ, 10 世紀中頃に成立した( 2 )朝も
中央アジアを支配したトルコ系最初のイスラム王朝となった。さらに ( 3 ) 朝のトゥグリルーベクは, 1055 年にア
ッパース朝の都に入城して ( 1 ) 朝を滅ぼし. カリフから2) 支配者を意味する称号を受けた。 ( 3 ) 朝ではマ
リク=シャーの時代に, 3) 宰相ニザームルニムルクによって様々な制度が整備され 最牙期を迎えた。
イスラム遂はさらに様々な地域に拡大し, 4) 西アフリカ東南アジアでもイ スラム国家が奏場したが, 策体化したア
ッパース朝は。 1258 年にモンゴル人のフラグによって滅ぼされた。フラグが交国じた (4) 国も のちにイスラム
を国教と して受け入れた。 有
モンゴル奉退後のイスラム世界でも, トルレコ人・イラン人の活躍が続き, 16 世紀には,
ァヴィー朝, そしてインドのムガル需国が世界の中心的地域を占めることになる。 8 0
一方, ヨーロッパでは。 5) 十字軍吉征など, キリスト教徒のイスラムへの反柚も始まっでいた。 cp
イベリア半島ではキリスト教徒による6) 国土回復 (再和服) 運動が進められた。 15 世紀後半に成立したスベイン王国が
イベリア半島最後のイスラム王朝の都を陥落させ.イスラム勢力をついに半島から追い出して国寺回復を完成させた。
のち, スペインは積極的な海外進出へと向かっていく。
(路格) あ) ガズナ い) チャガタイニハン う) ムラービト え) キプチャクニハン
お) サーマン か) ガザン=ハン き) ナスル <く) イルニハン け) プワイフ
こ) カラニハン き) ムワッヒド し) ホラズム す) セルジェーク せ) ゴーレ
間1 下線部1) , トルコ人の奴線軍人を何と呼んだかぃ
問2 下線部2) を何というか>
間3 下線部3) について, この頃に広まった, 軍役の代わりに家臣に土地の微税族を与える制度を何というか>
間4 下線部4) について,
i ) マレー半島に成立した東南ア: ジア初のイスラム国家はどれか
① アチェー王国 ② マラッカ王国 ⑧ マジャパヒト王国 ④ マタラム王国
) イスラム芝が広まった東アフリ 海岸の海港都市としてふさわしくないものはどれか
① トンプクトゥ ② ザンジパレ ③ モガディシュ ④ マリンディ
凍 錠5) に関して, 第3軒字昌明し、 各地イェルサレムを者回したアイコープ幸の者は工か
問6 下線部6) を何というか (カタカナ6字) 。
問7 下線部7) について, 6
i) この都市はどこか、次から選つべ
① コルドバパ ② トレド ⑨ アルマダ グラナダ
) スペイン王国がこの都市を陥落させた年代はいつか
間8 イスラム文化について, 次の文章にあてはまる人物を以下の①^⑦から番号で選べ
1i) イスラム哲学を体系化したほか、『医学典範』を著した学者は誰か>
』) 『世界史序説』 を著し、 王朝の刀亡に法則性があることを論じた 14Cの歴史学者は誰か。
泊) 『三大陸周遊記】を著した、モロッコの大旅行家は誰かゝ
(① オマルーニハイヤーム ⑳ イブプン=ハルドゥーン ⑧ ラシード=ニアッディーン
④ イプンニバットゥータ ⑤ イブプシ=ニサウード ⑥ イプンニルシェド ⑨⑰ イプンニシーナ