Japanese history
高中
已解決

日本史です
この文は地方制度の改革についての(3)の解説文です。

この文がこの問題の解説文になっている意味がわかりません。
丸暗記が1番手っ取り早いですが、理解したいので市制町村制と府県制郡制の解説お願いします。

が政府の方向としてはっきりと打ち出された。 (3) 人口2万 5000人以上の都市を市として郡と対等の行政区域とした。 市 町村の選挙 被選挙権をもつのは直接国税2円以上の納入者 に限られるなど少数の有産者が権限を握り、 内務大臣の強い 統制下におかれ、 自治権は弱かった。 府県会の選挙権者は市 会議員・市参事会員・郡会議員 郡参事会員、 被選挙権者は 直接国税10円以上納入者であった。 郡会は、 その3分の2を 各町村会が選挙し、3分の1は、 地価1万円以上の土地を所 有する者が互選で選んだ。 エの府県会議員は府県の住民が選 ぶのではなく、郡会議員の投票により選ばれるため、 間接選 •
43 立憲国家の成立 ② (p.252~255 ) 1 次の文を読み(①)~ ( 7 )に適語を入れ、あとの設問に答えよ。 ーロッパに派遣して憲法調査に当たらせた。 (1)はベルリン大学の(A) ウィーン大学の(B)ら (a)政府は、天皇と政府に強い権限を与える憲法を制定する方針を決定したが、 1882年、(①)らをヨ からドイツ流の憲法理論を学び、 帰国後、 憲法制定の準備を進めた。 1884年、 (2)令を定め、(②) の範囲を広げ、旧上層公家や大名層以外からも国家に功績があったものが(②)になれるようにした。 これは将来の上院をつくる土台となった。 ついで1885年、 太政官制を廃して (3) 制度を制定した。宮 中の事務に当たる (4)省は(③)の外におかれ、天皇を常侍補弼する任に当たる ( 5 ) が宮中におか れた。 初代総理大臣の (1) は (4) 大臣を兼任したが、 制度的には府中 (行政府) と宮中の区別が明ら かとなった。 で また、(b)地方制度の改革も、 ドイツ人顧問(C)の助言を得て、長州藩出身の(⑥)を中心に進めら れた。これにより、政府の統制力が強い地方自治制度が確立した。 政府の(C) 憲法草案作成作業は、国民に対しては極秘のうちに進められ、ドイツ人顧問(D)らの助言 を得て、(d) (①)を中心に起草された。 西暦 (7) 年2月11日、 (e) 大日本帝国憲法 (明治憲法) が発布さ れた。 無事生(るさ 設問 (1) (A)~(D)に当てはまる人名を、 次のア~オからそれぞれ選べ。 書・ ア モッセイ ボアソナード ウグナイスト エロエスレル オシュタイン (2) 下線部(a)について、 大隈が罷免され、 このような方針が決定されるきっかけになった1881年の 事件を何というか、答えよ。直に (3) 下線部(b)について、この時の地方制度改革の説明として誤っているものを、 次のア~エから一 つ選べ。 ついて ア 市制・町村制では、 市長は市会の推薦する候補者から内務大臣が任命した。 イ 市制・町村制では、町村長は無給の名誉職で、町村会で公選された。 ・郡制では、郡会議員は町村会議員の投票と大地主の互選とによって選ばれた。 府県制・郡制では、 府県会議員は郡会議員の投票による直接選挙であった。 人 のもとで草案審議を進めた天皇の最高諮問機関を何というか、答

解答

✨ 最佳解答 ✨

「行政区画によって、その区画の首長の選ばれ方が違う」これがポイントになります。

まず、行政区画は小さいものから順に
町村→市→郡→府県となります。
郡はいくつかの村をまとめたような単位です。
そして、それぞれの行政区画に首長がいます。

・町村長→町村内で選挙によって選ばれます。選挙権は直接国税2円以上納めている人でした。

・市長→選挙はせずに、市議会が推薦した人の中から内務大臣が任命して選ばれます。

・郡長→町村会議員の投票や大地主によって選ばれました。

・府県知事→府県議会の中で議員たちが選挙を行なって選びました。(一般人は投票しないので間接選挙です)

ややこしいところですが、こんな感じです🙏

げすと

ありがとうございます
わかりやすいです

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