Japanese history
高中

「1331年、後醍醐天皇が隠岐に流された頃、
河内の楠木正成などのように
天皇の味方をする者があらわれ、
さらに有力御家人の足利高氏が天皇側に寝返って六波羅探題を滅ぼしたため、大勢は一変した。」

という文が教科書にあるのですが、
ここの文の意味が、よく分かりません。。

足利高氏が天皇側に寝返るというのが
よく分かりません。
足利高氏が天皇側に 寝返る という風に表記されていますが
元々はどこかの味方だったってことですか?

色々分からないので
どなたか教えてください🙏🏻💦

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解答

足利高氏は元々は鎌倉幕府の後醍醐天皇討伐軍の大将でした。
しかし討伐軍が関西に着いたあとに後醍醐天皇側に寝返ります。

ろん

分かりやすく説明ありがとうございましたm(_ _)m

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足利尊氏(高氏)は源氏です。
前九年、後三年合戦で源氏の総大将として名を馳せ、清和源氏が東国で勢力を得るきっかけとなった八幡太郎義家(源義家)の子供に源義国という人物がいて、その義国の子供に新田義重と、足利義康という2人がおり、この2人の子孫がそれぞれ新田義貞と足利尊氏という事なんです。
で、源頼朝が健在の時はそれぞれ足利一門も新田一門も御家人として頼朝に仕えていた訳です。
つまりその子孫である足利尊氏や新田義貞も御家人の1人なんですね。つまり鎌倉幕府側の人間というわけです。
が、時は流れ北条得宗家や、その御内人が実権を握る中で、徐々に御家人にも不満がたまる訳です。本来鎌倉殿に仕える御家人は皆平等のはずなのにという不満ですね。
そして後醍醐天皇が反乱を起こし一度は失敗、隠岐に流されますが、まさかの脱出に成功し鎌倉幕府側を裏切った御家人の1人である足利尊氏は六波羅探題を、新田義貞は鎌倉を攻略し、建武の新政が起こるわけです。

ろん

そういうことですか!
足利高氏は鎌倉幕府側だったんですね。
やっと理解出来ました。
長文でありがとうございましたm(_ _)m

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