✨ 最佳解答 ✨
当時朝廷では藤原北家を中心とする連中が官位を独占しており、藤原氏以外の人間は対して出世もできず燻ってると言う状態でした。そこに律令制的土地制度の崩壊が重なるわけです。班田もまともに行われなくなり、浮浪逃亡偽籍が相次ぎます。なので中央政府は国司を徴税請負人化させて、国に税さえ入ってくれれば良いよねって事にします。国司職の利権化です。でそこに目をつけたのが藤原氏以外の貴族です。そうした連中は私財を投じて藤原道長や頼道、天皇家や寺院などに御奉公をします。
(道長の別名御堂関白の由来ともなったとされる法成寺は道長は一切私財を使わずに建てられたとも言われる)
そして精一杯御奉公とごま擦りを重ねて、受領に任命されるわけです。
現代風に言ってしまえば、中央で官僚やってたけど、同年代が出世したから、地方の企業に賄賂などを駆使して天下りをするみたいなものです。