解答

✨ 最佳解答 ✨

「対馬藩が仲介」というのは、「対馬藩が日本と朝鮮の関係を保ってくれた」という意味です。
実は、その頃の日本は(今もそうですが)、朝鮮との仲が悪かったそうです。
理由は、豊臣秀吉が(初の孫息子のために土地を欲しがり)朝鮮出兵をしたから。
勝手に自国に侵入され、土地を荒らされ、多くの被害を被ったら、誰でも怒りますよね。
これは個人の感想ですが、完全に日本(と言うよりも豊臣秀吉)が悪いです。言うのは気が引けますが、今のロシアです。
そこで、対馬藩の出番です。
ここで重要なのが、「対馬藩と朝鮮は、朝鮮出兵後も貿易を続けていた」ということです。
どうして?と思うかもしれませんが、時々あることで、国交(国同士の関係)は途絶えていても貿易はつづける場合があります。
外国の珍しい品は利益になる→お金が手に入る→嫌いな国だけど、貿易だけはしてやるか!
……というイメージです。
自分たちも貿易の利益がほしい幕府は、対馬藩にお願いして朝鮮との国交を回復しました。
その途中の取り決めで、朝鮮は日本へ通信使を派遣することを取り決めました。
互いの国の思惑としては、
日本→将軍の代替わりを祝ってもらいたい(お金ください)
朝鮮→日本が再び朝鮮出兵をしないか見極める(二度と攻め込まないでください)
……という感じです。

一度文字数制限のため送ります。

りーたん😎

コメントありがとうございます。
分かりやすいです~!
本当にありがとうございます。
有り難いです(^^)

確かに、文字数制限ありますね~、
了解です!

ゆうり

さて、「徐々に貿易額が低下した」という部分についてなのですが……
国交を回復した当初は、日本と朝鮮は対等な貿易をしていました。
朝鮮からの品物をフェアな価格で輸入し、代わりに日本からの商品を適正な値段で売りつける……というように。
しかし、やがて日本は気づいてしまいました。
「これ……貿易しなくても利益出るのでは?」
……と。
その理由が、朝鮮通信使です。
通信使は将軍の代替わりを「祝う」ために来ます。
「祝う」って、どうやって?
そう、通信使は「プレゼント」、すなわち金品を渡していたのです。その無料で手に入る金品が、わりと莫大な利益を生み出していたのです。
そうなると日本にとっては、わざわざお金を出して商品を買っていることがばかばかしくなってきます。
そりゃそうです。
自分が失うものはなく何か貰えるならば、誰だって嬉しいと思います。
なので、徐々に日本は無駄な出費を抑えるべく、貿易額を減らしました。朝鮮通信使は代替わりごとに来るように約束したまま。……今の人も昔の人も、お金大好きですね。
話はそれますが、日本はアイヌとの交易でもやっぱりズルをしました。世代を追うごとに、同じ量の魚介類に対しての代金をバレないように少しずつ、少なくしていったのです。……当然、やがてバレて争いになりました。
まあ、このようにお金に対して執着するところが、海外で日本人が「虎みたいで嫌い」と言われる理由なのですかね……

……と。まあ、このあたりが江戸時代あたりの日本と朝鮮の関係です。
高校の教科書の記述は難しくて、理解しにくいですよね……。
そんなときには、中学校の頃の教科書や資料集を読むのがおすすめです!
いくらか分かりやすく書いてあります。

苦手な強化でも頑張ろうとするりーたん😎さんの姿勢は尊敬します!
これからも諦めずに頑張ってください!
長文失礼しました(_ _)

ゆうり

遅くなってすみませんでした……💦
わからないところがありましたら、遠慮なく質問してください(^^)

りーたん😎

返信ありがとうございます。
いえいえ(≧▽≦)
すっごく分かりやすかったです!!!!!!
本当に有り難過ぎて、、、
その言葉を胸に頑張りますᕙ(⇀‸↼‶)ᕗ
ありがとうございました。

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