Japanese history
高中
已解決
恵美押勝の乱についてです。
なぜ恵美押勝は孝謙太上天皇が淳仁天皇と対立すると危機感をつのらせたのでしょうか?
うし
だて
だい
恵美押勝は後ろ盾であった光明皇太后が死去すると孤立を深め,孝謙太
じょ
どうきょう
ちょうあい
天皇が自分の看病に当たった僧道鏡を龍愛して淳仁天皇と対立すると,
?~772
てんぴょうほうじ
危機感をつのらせて764(天平宝字8)年に
8世紀の政情(月は陰暦)
藤原不比等,死去
720.8
挙兵したが,太上天皇側に先制され滅ぼさ
うだいじん
長屋王,右大臣となる
長屋王,左大臣となる
長屋王の変
光明子,皇后となる
藤原武智麻呂,右大臣となる
疫病流行,武智麻呂ら4兄弟死去
721.1
だいじん
724.2
れた(恵美押勝の乱)。 淳仁天皇は廃されて
729.2
あわ じ
ちょう そ
淡路に流され,孝謙太上天皇が重酢して
8
しょうとく
734.1
称徳天皇となった。
737.
位764~770
解答
解答
おぽめさんの回答に補足します。教科書には「恵美押勝は後ろ盾であった光明皇太后が死去すると孤立を深め」とありますが、そこもポイントです。恵美押勝は藤原仲麻呂です。教科書の隣のページ(50ページ)の系図で、光明皇太后と藤原仲麻呂の関係を見てみましょう。光明皇太后は藤原不比等の娘、仲麻呂は不比等の孫で、どちらも藤原氏です。さらに光明皇太后は孝謙太上天皇の母親でもあります。ですから、光明皇太后は、娘の孝謙太上天皇をおさえつつ、藤原仲麻呂の政治権力の後ろ盾の役割をしていたわけで、その光明皇太后の死は仲麻呂の政治権力を弱め、それに代わって母におさえられていた孝謙太上天皇の政治力を高めることになったのです。
您的問題解決了嗎?
看了這個問題的人
也有瀏覽這些問題喔😉