✨ 最佳解答 ✨ 焼きおにぎり 8年以上以前 違います。これはセンターでもよくでる ひっかけです。異国警護番役は文永の役の前に設置されていました。元が来てやばい!またくるぞ!ってなって、再来に備えるために、強化したんです。設置じゃなくて強化したんです。これは模試によくでます ゲスト 8年以上以前 回答ありがとうございます! では、1回目の文永の役までにすでに設置されていた、ということですね! あ、あと石塁は文永の役のあとであってますか?汗 焼きおにぎり 8年以上以前 石塁……合ってますよ! 留言
ぴょん 8年以上以前 異国警固番役の原形ができあがっていたのは1271年、強化(制度化)したのが、文永の役後の1275年です。 1271年、西国(特に九州)に所領を持つ東国御家人に肥前・筑前の警固するよう命じ、東国御家人が着任するまで、防備を九州の御家人に交代で沿岸警備にあたるよう命じました。これが異国警固番役の始まりです。 そして文永の役後、原形ができあがっていた異国警固番役を、九州の9ヶ国が、2・3か国で4つの番をつくり、3か月ごとに警固する体制を確立した(制度化)しました。 ゲスト 8年以上以前 詳しく本当にありがとうございます! センターまでに質問して良かったです! 留言
回答ありがとうございます!
では、1回目の文永の役までにすでに設置されていた、ということですね!
あ、あと石塁は文永の役のあとであってますか?汗