History
มัธยมต้น
เคลียร์แล้ว

荘園と武士の関係がいまいちよくわかりません。
大名田堵…?荘園領主…?在地領主…?どれもよく分からず困っています。この3つに限らないですが…詳しく説明お願いします!また、この時代はこう、などと時代によって関係が異なるならそこも教えて下さると嬉しいです。

คำตอบ

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墾田永年私財法が出るまで、土地は朝廷のものでしたね。しかしその後は貴族が管理する土地である荘園が増加します。

鎌倉時代になると荘園ごとに地頭(武士)が配置されます。しかし、西日本などはまだまだ荘園領主
(荘園を名目上支配している貴族、実際は荘官という人が任されて管理している)
の力が強く、荘園の農民は領主(貴族)と地頭(武士)の二重支配を受けることがありました。
領主と地頭は対立する場合が多く、荘園を2つに分けた例もあります。

室町時代に、なると中央の力が弱まります。室町幕府は戦乱を抑えるため、守護に大きな権限を与えたため荘園は守護に支配されるケースが増えます。→後に守護大名へ
一方農民は、自分たちで自分の身を守るため、惣村などを作り自治を行うようになるので、荘園は徐々に解体されていき秀吉の太閤検地で消滅します。

だいたいこんな感じですかね😅
大名田堵、在地領主は高校の日本史範囲なので日本史得意な人に任せます。。。

まったぴ

時代背景も合わせた詳しい説明ありがとうございます!( ´ ` *)
6行目の「中央」は、幕府のことでしょうか??

たにた

そうです!

まったぴ

中央の力が弱まって、荘園が守護に支配されるケースが増えるという流れがよく分かりません…(理解力なくてすみません…)

たにた

中央の力が弱まると、地方(守護)の力が強くなります。実際に室町幕府は守護に大きな権限を与えました。
例えば、支配地の荘園の年貢の半分を手に入れて良いなど。
こう言ったものは、期限や場所が限定されていたのですが、守護は武力を背景にどんどんと荘園に侵略していき、荘園が守護に支配されるようになった。

という感じなのですが、説明できてますか😅

まったぴ

.....✍(・∀・*)なるほどぉ.…!中央の力が弱まると守護の力が弱くなるんですね!守護は武力で荘園を支配していった、ということですね!詳しい解説ありがとうございました!助かりました(*ˊ˘ˋ*)♪

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คำตอบ

墾田永年私財法ができてから貴族が土地を増やしていって
それを守るために武装集団をつくり、それが武士になったのだと思います。

まったぴ

簡潔でわかりやすい説明ありがとうございます!(*´︶`*)♡

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