問屋とは本来、特定の品種を上納する御用をつとめる存在のことを言いました。
江戸では「納人(おさめにん)」と呼ばれることが多かったのですが、この御用を務めるみかえりとして特定の品種の集荷をする特権を与えられていたのです。
加賀藩の魚問屋の事例でいうと、江戸時代初期の寛永年間に金沢の魚問屋6人が藩主へ魚を上納する御用を請け負うことで、加賀・越中・能登の3カ国の浦々から魚を集荷する権利を独占していたのです。
なぜ問屋を通すかというと
漁師にしてみれば別にこの6人の問屋を通さなくても、直接お店に商品を卸せば良いわけです。
なのになぜ問屋なんてものを間に入れていたのか?
それは藩がそれを禁止したからです。
また、加賀藩の場合は魚の流通に税金をかけていたため、問屋は税金の徴収と納入という役目も果たしていました。
そのため確実に税金を確保するためにも、必ず漁師は問屋に商品を卸さなくてはならなかったのです。
問屋の役割
なので魚の売買を漁港で行うことは禁止され、必ず問屋庭(とんやば)と呼ばれる問屋の敷地内でせりを行うことが決まりでした。
そして漁師と仲買は取引の場所代として口銭(手数料)を支払います。
これが問屋の収入となりました。
また問屋は藩の保護だけをあてにせず自分自身も決済の代行を行うなどをして、漁師や仲買の利便を図り魚荷の集荷を促進したのです。
つまり問屋というのは本来、あくまでも場所を提供する存在で商人というよりは地主といった方がよい人たちだったのです。
わかって頂けて良かったです(о´∀`о)
なるほど!
ありがとうございます!