1つ目に関して。
古代〜中世の政治
聖徳太子が冠位十二階と十七条の憲法をたてて…
大化の改新が起こり、てんのう中心の政治に。
(公地公民や戸籍など。)
大宝律令(唐から取り入れた法律のしくみ)
二官八省(国-郡-里でも)→朝廷(政府)
それで国司や郡司、里長のしくみができました。
公地公民(土地や人は国のもの)がきびしくなり、
班田収授法や区分田がはっきりしてきて、
戸籍も「筑前国嶋軍」とか教科書に載ってたりします。
税(租、調、庸)のしくみができました。
しかし開墾が進まず、土地が増えないので公地公民は
なくなり、墾田永年私財法ができました。
→土地の仕組みは崩壊します。
(一回切ります)
いえいえ大丈夫です。
歴史の流れを思い出すことができたし、分かりやすかったです!
ありがとうございました❗
それはよかったです(´V`)♪
その後、
藤原氏が貴族の政治を始めます。
1、娘を天皇のきさきに。
2、産まれた子の摂政に。
3、大きくなったら関白に。
→こうしてずっと政治の実権を握っていました。
これがいわゆる摂関政治です。
次に白河天皇が院政を始めます。
天皇のくらいを幼少の王子に譲り、
上皇として政治の実権を握っていました。
その後の鎌倉幕府は、3代で源がおわったので、
執権が執権政治をしていました。
そして北条泰時が御成敗式目をつくります。
で、元のせいで鎌倉幕府が滅ぶと、
次は南北朝の内乱がおこり、尊氏が勝ち、
勘合貿易を始めます。
しかし、だんだん政治に対して、足利市の意識は
薄れていきます。すると大名がちからをつけて、
自分勝手に支配を始めます。そのうちに下克上の風潮が…。
各地で一揆が勃発します。
そして約100年におよぶ戦国時代に。
ってところですかね?
質問にあってない気が。。。
すいませんΣ(゚◇゚;)