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何故ならこの二条河原の落書は後醍醐天皇の政策を批判した内容だからです。
後醍醐はとにかく独善的と言うか、とにかく理論に拘る傾向があり、彼は全国の土地は天皇のものなのだから、今後所領の本有については全て後醍醐本人が確認をして、後醍醐本人が認可をしたもの以外認めないということを言い始めます。しかし時代は鎌倉幕府崩壊に伴い、日本全国で
「この土地は俺のだ、いいや俺のだ」
という争いまみれでした。そうした土地を全て後醍醐本人が確認をした上で認可を出すとなると、天皇がスパコンでないと不可能な仕事量になるわけです。その上で天皇の本来の業務なども全て後醍醐がこなすわけです。当然武士が起こした土地関連の訴訟は停滞し、全国は混乱します。

こうした“建武政権の混乱”を皮肉り、何者かが二条河原に突如看板で出したものがこの史料です。(正確には建武年間記に載っているので又書きということになりますが…)
なので武士の不満はともかく、武士の反乱は当然❌です。
回答としては
「建武政権の失政による混乱を表している」が正解でしょう

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