History
มัธยมต้น
เคลียร์แล้ว

中学範囲の復習で一つわからなかったことがあったので質問させていただきます。
なぜ第一次世界大戦にトルコ(オスマン帝国)が同盟側で参戦したのでしょうか。わざわざ大戦に参戦しないで、ロシアと戦うことは不可能だったのでしょうか?

คำตอบ

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クリミア戦争でオスマン帝国はロシアに事実上勝ってはいますが、その後の露土戦争では敗戦しています。単独で戦っても勝てる見込みがなかったのも理由の一つではあると思います。しかしそもそもクリミア戦争や露土戦争にはバルカン半島獲得の問題が深く関わっています。
パン=スラヴ主義、パン=ゲルマン主義については知っていますか?クリミア戦争でオスマン帝国がロシアに勝利した後、バルカン半島に支配を広げた→バルカン半島のボスニア・ヘルツェゴビナやセルビアなどのスラヴ派がパン=スラヴ主義を掲げて反乱を起こした→ここでパン=スラヴ主義を後押ししたのがロシア→つまりオスマン帝国とロシアの対立、これが露土戦争へ。という流れになっています。
ロシアとオスマン帝国に限らず、このころのヨーロッパはバルカン半島進出をめぐって対立していました。バルカン半島のボスニア・ヘルツェゴビナの乱で掲げられたパン=スラヴ主義と、それに対するパン=ゲルマン主義の大きく二つに分けて対立していく形になっていきます。第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件は、パン=ゲルマン主義のオーストリアに併合されてしまったパン=スラヴ主義の根強いボスニア・ヘルツェゴビナで起こったものです。これはパン=スラヴ主義によるパン=ゲルマン主義への抵抗とも取れます。ロシアはパン=スラヴ主義側としてついていましたが、オスマン帝国はパン=ゲルマン主義なので結果的に対立する形になりました。

カレーライスとハヤシライスの違い

第一次世界大戦以前に露土戦争で、オスマン帝国とロシアの思想的対立が明確になった後に、サラエボ事件によって、パン=スラヴ主義 対 パン=ゲルマン主義、のような構図が出来上がって、戦闘が始まった際に、ロシアとオスマン帝国はそれぞれの思想であったので結果的にオスマン帝国は参戦したってことで、理解してよろしいんでしょうか?

流れのつかみ方はあっていますが、少しだけ解釈を変えると分かりやすいと思います。パン=スラヴ主義とパン=ゲルマン主義は、サラエボ事件から出来上がったのではなくバルカン半島をめぐる関係で、もう少し前からあったものです。
この辺については少し前に自分用にまとめていたものがあるので、それを参考にしていただきたいです。
(※もともと自分用に作った関係で、自己流のまとめ方なので理解できないところがあれば教えてください!)
下に送ります↓

文字が見づらいのですがすみません

カレーライスとハヤシライスの違い

クリミア戦争に勝ったはずのロシアが、イギリス、フランスの干渉によって、事実上オスマン帝国が勝利した形になった。
その後に、不満が高まるロシア、バルカンまで支配を広げるオスマン帝国となったが、ボスニアヘルツェゴヴィナの反乱を機に、パン=スラヴ主義を味方する形でロシアとオスマン帝国の戦争である露土戦争が起きた。
その後に、サン=ステファノン条約でバルカン半島南部を手に入れたはずだったロシアは、イギリスとオーストリアに邪魔されて、ベルリン条約によって獲得領土を減らされ通行もしづらくなったことによって不満が高まる。オスマン帝国も独立を許してしまった。
その後に、オスマン帝国内の革命によってオスマン帝国が混乱に陥っている際に、ブルガリアが独立したことによって焦ったオーストリアは無理やり思想が異なるボスニアヘルツェゴヴィナを併合したことで、パン=ゲルマン主義とパン=スラヴ主義の対立は激しくなっていった。
さらに、バルカン半島での国々がロシアの仲介によってバルカン同盟が結成されたことによって、ブルガリアを除く、3国とロシアは強い関係になっていった。
そんなこんなで、サラエボ事件が起こって戦前に出来上がっていた構成で第一次世界大戦が始まった。
という感じで噛み砕いたんですがどうでしょうか?
質問ばかりですいません

その解釈でばっちりだと思います🙆🏻‍♀️!
回答がまとまらない文章になってしまったので伝わるかどうか不安でしたが、理解していただけたようで嬉しいです!

カレーライスとハヤシライスの違い

わかりやすい回答ありがとうございました!

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