Contemporary writings
มัธยมปลาย
【至急】ホンマに助けて下さい 明日テスト 宇野重規の〈私〉時代のデモクラシー
この文に「折り返し点」という記述があると思うのですが、折返し点とはなにを表してるのですか?
な人間関係の束縛からいかに
る影もありません。 時代は変わったのです。
「近代」のもう一つの目標は、宗教からの解放でした。伝統的な社会においては、つね
「聖なるもの」の感覚がありました。 人間を超えた「聖なるもの」は、人々の畏れる 2
べき対象であると同時に、人々にあるべき姿、進むべき道を示してくれるものでもあり
ました。 「近代化」は、この「聖なるもの」の感覚に支えられた宗教から人々を解放し、
個人の意志を新たな価値の源泉にしました。人々が選択にあたって指針とするのは、も
々自身のうちに、あらゆる価値の源が見いだ
はや人間を超えたものではありません。「人々自身の
S
せるというのが、「近代」のスローガンでした。
「聖なるもの」が一つひとつ失われていったのが、「近代」という時代です。ある意味
で、私がこのように強調される現代とは、そのような「近代」の行き着いた時代な
のかもしれません。なぜなら、あらゆる「聖なるもの」が見失われてしまった現代にお
いて、価値とされるものは、もはや〈私〉しかないからです。
現代の社会理論家の代表的な一人であるジーグムント・バウマンは、次のようにいい
ます。近代においても、最初のころには歴史において実現されるべき目標の理念があり
ました。「公正で平和な社会」などというのが、それです。このような時代においては、
そのような社会の理想を実現するための「革命」という言葉には、独特の魅力がありま
した。しかしながら、現代の社会理論で強調されるのは、むしろ「個人の差異」や「個
人の選択」です。もはや社会的な理想は力をもたず、もっぱら一人ひとりの〈私〉の選
択こそが強調されるのが、いまの時代だというのです。つまり、近代という時代も一つ
の折り返し点に達したということなのでしょう。 バウマンは、私たちの生きる近代は、
同じ近代でも、〈個人〉や〈私〉中心の近代だといいます。
このような「折り返し点」を過ぎた「近代」のことを、現代ヨーロッパの理論家で、
社会学者であるアンソニー・ギデンズやウルリッヒ・ベックらは、「後期近代」とか
「再帰的近代」などと呼んでいます。このようないい方のポイントは、「折り返し点」を
過ぎたとしても、「近代」が終わったわけではないし、「近代」を押し進めた運動がスト
ップしたわけではない、ということです。 つまり、「近代」が終わり、「近代」とはまっ
たく別の「脱近代(ポスト・モダン)」が始まったわけではないのです。むしろ、「近
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