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高校以降だと普通に使っている人も多い表現です。僕も塾で中学生に証明を教えるとき、板書でいちいち書いていると時間かかるので、使うことがあります。
例えば「△ABC≡△ACDを示せ」程度なら、「したがって△ABC≡△ACDであることが示された。」「よって△ABC≡△ACDが成り立つ」等でよいですし、このくらいなら書けば良いと思います。しかし、「四角形ABCDにおいてAM=BMであるならば、△ABPと△ADQが相似であることを示せ」みたいに、長い命題の証明など、いちいち書いていると大変なこともあります。そんなときに、「題意」すなわち、その問題で何を証明してほしいのかが明確であるなら何も問題はないはずです。
また、そもそも別に書かなくても問題ない場合もあります。例えば、最初にnを整数とすると書いたなら、3nという形になれば3の倍数であることは明らかなので、本来「したがって、連続する3整数を足すと3の倍数になる」と書く必要すらないのです。書くとより丁寧ですが、書かなくてもバツにはできません。
僕の意見をまとめると、ちゃんと「したがって、○○が成り立つ」という書き方が丁寧で確実ではあるものの、題意は示されたという書き方に問題はないし、減点できる理由もない(この書き方を自分はあまりしないですが、して減点されたことはない)という感じです。
たまにclearでも「証明、これでも良いですか?」と、ほとんど答えと同じ書き方をしているのに質問している人がいます。ある程度型にはまった書き方は、採点する側も読みやすいです。また何より教える側にとって教えやすいです。中学生にとって答えの数値でなく解答の過程を書くということ自体はじめてだからです。ですが、全く同じでなくとも、数学的に正しければ何も問題ありません。むしろ、高校数学では数値を求めるだけであっても答えに至る過程も記述することになるので、ただ型にあてはめるのではなく、自分の考えを他人にわかるように伝えるという練習は大事だと思います。
学校の先生の中には、自分の教えたことが絶対という頭の硬い人もいます。教えてないからダメは、勝手なマイルールであり、入試では数学的に正しければ使っても大丈夫ですが、定期テストに関しては、先生と戦うか安全策をとるか選んでください。
詳しく教えてくださり、ありがとうございます😊