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建武の新政(1333-1336)だと思います。
後醍醐天皇による公家統一政治がはじまりました。
-時代の流れ-
1331-1333 元弘の乱
鎌倉幕府倒す派の後醍醐らvs幕府&得宗の北条高時ら
後醍醐天皇たちが勝ち、鎌倉幕府は潰れて建武の新政が始まるが、わずが数年で建武の新政は終わる。
→公家を優遇する政治を行い武士の不満が高まったため。
具体的には、
鎌倉打倒の恩賞が公家に厚く武士に薄かったこと。
また、後醍醐天皇が職務を一人でこなそうとしすぎたことも建武の新政が終わった理由とも言われています。
建武の新政が武士の批判により終わった後は南北朝時代に入ります。
足利尊氏が光明天皇をたてて京都に北朝を開き
後醍醐天皇は吉野(現奈良県)に逃げて南朝を開きます。→1392年に南北朝は合体します。
細かくてとてもわかりやすいです!
ありがとうございます!!