こんばんは! Love Flowerです!
早速ですが回答させていただきます…。
鹿鳴館をつくり、欧化政策をしたのは、井上馨という人です。しかし、井上は当時「外国人裁判官の採用」案を出していて、これに批判が集まり、務めていた大臣を辞職し、条約改正は失敗してしまいました。
その数年後、ノルマントン号事件が発生し、条約改正への与論が強まり、1894年の日英通商航海条約、1911年の日米通商航海条約で条約改正を達成しました。
なぜ「外国人裁判官の採用」案に批判が集まったのかですが…ごめんなさい、分かりません(._.) ただ、井上が大臣を辞職したのがノルマントン号事件の翌年なので、きっと外国人裁判官を採用すると、日本人の刑が重くなるのではないのでしょうか…?
参考になれば幸いです🍀
長文失礼しました。
外国人裁判官が裁くと外国人の刑が軽くなる恐れがありました。
ノルマントン号事件ではイギリス人船長の刑は日本人的には軽いものだったので、井上案は挫折しました。