既に虎になってしまい、もう詩を書くことすらも出来なくなってしまっているのに、心の奥底ではまだ夢に対して諦めがついていない自分を愚かだと思っているから。
ですかね〜?
山月記で「自分が生涯それに執着したところのものを一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死にきれない」と李徴は言っているが、それなのにどうして「俺の詩集が長安風流人士の机の上に置かれている」ことを「嗤ってくれ」と言うのか教えてください。
既に虎になってしまい、もう詩を書くことすらも出来なくなってしまっているのに、心の奥底ではまだ夢に対して諦めがついていない自分を愚かだと思っているから。
ですかね〜?
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ありがとうございます!!!
助かりました😭😭