Japanese
มัธยมต้น
国語 東京書籍 中学三年生 「二つのアザミ」
(9)と、(10)わからないので答えだけでも教えていただきたいです!
|線「本を読み、言葉に触れ、言葉を育てていく喜び」は、どのよ
うなことにあると筆者は考えているか。このことを、筆者が取り上げてい
る例を踏まえて次のようにまとめるとき、( )に当てはまる言葉を、「本
物の「アザミ」」という言葉を用いて、 七十字以内で書きなさい。
正反対のイメージを持つ言葉としての「葡」を知ったことで、(
にあると考えている。
(2E)
この文章で筆者は、片仮名の「アザミ」と漢字の「葡」をどのように使
)に当てはまる言葉を二十字以内で書き
(12年)
い分けているか。次の文の(
なさい。
)と使い分けている。
次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
やがて、その花がアザミとよばれていることを私は知りました。漢字で書
わたし
いたらどうなるのだろう。そう思って、花の姿や名前の音にふさわしい文字
の組み合わせを考えてみたのですが、なかなかうまくいかず、アザミはその
後も、頭の中で片仮名の花として咲いていました。
ところが、ある日、それが「劃」という漢字になって、心に刻まれること s
になったのです。小学校を卒業した直後の春休みだったでしょうか、町の図
みやざわけん じ
書館でたまたま手に取った宮沢賢治の本に、「種山ヶ原」と題された物語が
たねやま が はら
たつじ
収められていました。達二という名の主人公が、逃げ出した牛を山の中まで
追っていく場面があって、そこにこんな一節が出てきたのです。
「ところがその道のようなものは、まだ百歩も行かないうちに、オトコエ 0
せいたか
シや、すてきに背高の劃の中で、二つにも三つにも分かれてしまって、どれ
がどれやらいっこう分からなくなってしまいました。」
難しい表現は全く使われていません。詩のようにきらぴやかな言葉もあり
みりょく
ません。それなのに、私はこの文章の不思議な魅力に捕らわれてしまったの
です。なぜ心ひかれるのか、最初はよく分かりませんでした。しかし、何度 5
か読み返すうち、この一文の光が、「すてきに背高の葡」という表現から発
せられていることに気づいたのです。
「すてき」も「背高」も、個別には知っていた単語です。けれど、両者を
組み合わせて、アザミのような花の上に載せるなんて、想像したことさえあ
りませんでした。「すばらしく背の高いアザミ」と書いても、意味としては 8
変わらないでしょう。宮沢賢治はそれを短く刈り込んで、言葉に新しい響き
を、つまり、これまでにない音楽を生み出してくれたのです。
それから長い時間がたって、高校生になったばかりの頃、私は再び書物の
かD いもとじ ろう
中で、漢字の「葡」に出会うことになりました。梶井基次郎の「闇の絵巻」
と題された短編を読んだときのことです。真っ暗な闇の中に一歩を踏み出す
勇気を、主人公はこんなたとえで表現していました。
の 。
T裸足で葡を踏んづける!」
ぼうぜん
私は呆然としました。裸足で葡を踏んづけるほどの勇気とは! 宮沢賢治
の作品を通じて、アザミは明るい光の中ではつきり目に見える紫色の、「す
てきに背高の」、明るい陽のもとで映える花として心に刻まれていました。
梶井基次郎は、そこにもう一つ、まるで正反対の、闇に沈んだ見えない「葡」
というイメージを付け加えてくれたのです。その見えない色の、なんと鮮や
かなことでしょう。おまけに、とげを踏み抜いた足の裏の感触まで生々しく
あざ
かんしょく
伝わってくるようです。
少年の頃に私が見ていた野の花としてのアザミは、優れた二人の書き手の 5
作品のおかげで、明と暗を持つ、言葉としての「葡」になりました。異なる
葉
文脈で出会ったことによって、「葡」は私の心の中で、より豊かな花に育っ
ていったのです。
興味深いのは、言葉としての「葡」の色が深まるにつれて、原っぱに咲い
ている本物の「アザミ」も美しさを増していったごとです。つまり、二つの
「葡」は、世界の見方を変えてくれたのです。本を読み、言葉に触れ、言葉
を育てていく喜びは、こんなふうに、見慣れていた光景に新しい光が当てら
おどろ
れる様子を、驚きをもって眺めることにあるのではないでしょうが。
ほりえ としゆき
(江敏幸「二つのアザミ」より)
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