学年

質問の種類

世界史 高校生

ばかすぎて全て分かりません。教えてください🙇‍♀️

第Ⅱ部 国際秩序の変化や 大衆化と私たち 第5章 1 第5章 第一次世界大戦と大衆社会 第一次世界大戦とロシア革命 【バルカン半島での対立 □1.20世紀初頭、 列強の二極化が進み、 協商国と同盟国の対立が深まった。 対 立の焦点となったバルカン半島は 「(① )」と呼ばれた。 □2.1912年、ロシアはセルビアやブルガリアなどの諸国と (②) __ )を つくり、(③ _)と戦って勝利した(第1次バルカン戦争)。 しかし 翌年、同盟諸国間での戦争 (第2次バルカン戦争) が生じると、 敗北したブル ガリアはドイツ・オーストリアに接近した。 【第一次世界大戦の開戦】 □3.1914年6月 (④ でオーストリアの帝位継承者夫妻がセルビ ア人に暗殺されたのをきっかけにオーストリアがセルビアに宣戦を布告し、 ドイツがロシアに宣戦を布告した。 フランスやイギリスもつぎつぎと参戦し、 (⑤5) となった。 さんごう こうちゃく □4. 西部戦線では塹壕戦となり、膠着状態を打破するために、 毒ガス・戦車・ 軍はロ 飛行機といった新兵器が開発・投入された。 東部戦線では (⑥ シア領ポーランドに侵入したが、 決定的な打撃を与えられなかった。 5. 戦争は同盟国側と協商国(連合国)側にわかれて戦われた。 オスマン帝国も 同盟国側に加わった。 オーストリアと対立する(⑦ は三国同盟にも かかわらず当初は中立であったが、 1915年に連合国側で参戦した。 同年には ブルガリアが同盟国側に加わった。 【総力戦】 6. 第一次世界大戦は、 第2次 (⑧ によって発達した各国の産業力が 発揮されたことで、 長期戦となった。 そして、政府が経済活動を統制し、挙 国一致体制がしかれ、 日常生活を大きく巻き込む (⑨ _)となった。 【日本の参戦】 □7. 第一次世界大戦が始まると、 日本は (10) _)での権益をさらに確実にする ため参戦し、ドイツ領南洋諸島を占領し、 山東省 (⑩ のドイツ軍を破り ドイツの東アジアにおける拠点を奪った。 【二十一カ条の要求】 えんせいがい □8.1915年、日本政府は中華民国の袁世凱政権に対して (12) を突きつけ、 軍事的圧力を背景に要求の大部分を認めさせた。 要求には山東 そしゃく 省のドイツ権益の継承、 関東州の租借期限の99カ年延長、 (13) () この日中共同経営などが含まれていた。 (5) ⑦ 8 (11) (12)

未解決 回答数: 1
歴史 中学生

回答を教えてくれると助かります

(7)8点,他各3点×14, 計50点 166 21世紀を迎えてから10年以上過ぎた。 20世紀がどのような時代であったかの評価は後世にゆだ ねられようが,その歴史は概載しておくべきだろう。現代文明につながる科学·技術の進歩とい う点では,今から100年ほど前が大きな転換期であったとされる。人·物資情報などの動きが 大きくかつ速くなり; 世界の結びつきが深まったのである。 このころ, a欧米列強のアジアやア 2リカへの進出が激しさを増した。 20世紀に入るとドイツの強大化はヨーロッパ各国を警戒させ、 個民地やb勢力圏をめぐる争いを織り交ぜ, 第一次世界大戦に向かって諸国の対立関係が成立し た。第一次世界大戦は, ボスニアの首都 ( ① )でおきたオーストリアの皇太子夫妻の暗殺を 機に始まり, 従来の戦争とは比較にならない犠牲を各国の民衆におよぼした。 ロシアでは長期戦 こなった大戦によって国民の生活が著しく悪化し,ついに。社会主義革命がおきた。ドイツが敗 北して大戦は終結したが, 戦後は国際平和を求める声を反映してd国際連盟が発足したり, 東ヨ ーロッパに多くの独立国が認められたり, ヨーロッパでは国際協調や民主化の動きが目立ってい 2 次の文を読んで, あとの問いに答えなさい。 おうべい ぎせい った。 大戦が終わって10年ほどは欧米社会に繁栄と安定がもたらされたようだった。しかし,アメ リカ合衆国を1929年におそった経済恐慌は、資本主義世界のほとんどを巻きこみ,f な不景気の中で打開の道を探っていった。ところが民主主義を否定してg軍国主義を強めること でこの危機を克服しようという動きが1930年代に強くなり, 国際平和も崩れて,第二次世界大戦 を迎えていったのである。 各国は深刻 きょうこう 第二次世界大戦は, さらにhおびただしい犠牲の果てに軍国主義の敗北で幕を閉じたが,社会 主義勢力の拡大とともに, 戦後の世界に構造的国際対立をもたらすことになった。すなわち「冷 たい戦争」である。この緊張状態は約10年ほどの間に, よる対立を生んでいった。しかし,i 1950年代中ごろから新しい動きも見られ,こうした東西両 陣営の対立も緩むかに見えた。特に社会主義諸国の内部に民主化をめざす動きが見られ,東ヨー ロッパのポーランドやハンガリーでは民主化を求めて市民の抵抗運動が暴動に拡大し,1960年代 になってチェコスロバキアでも自由化運動が進んだ。こうした動きはソ連を中心とする軍隊によ って弾圧を受けたとはいえ, ソ連を社会主義陣営の側から批判したものとしてとらえられよう。 また,1960年代にはアメリカ合衆国への資本主義陣営側からの批判も表面化して, ヨーロッパ で新たな動きが見られるようになった。多極化していく世界情勢の中で, 1970年代におきたk石 油危機は先進資本主義諸国に動揺を与え, ( ② ) の開催などの国際協力や, 国内経済の改革 などを通じて資本主義経済体制の安定が図られた。これに対して社会主義諸国では政治や経済の 行き詰まりが深刻になり, 1980年代後半のソ連では ( 3 ) とよばれる改革が行われた。しか し,東ヨーロッパ諸国の自由化運動が次々と成功していく中で, 1990年代に入るとソ連でも社会 主義体制が崩壊し,国家も解体してしまった。 半世紀近くにおよんだ冷たい戦争の構造はこう して消えたが,m民族紛争や地域紛争などは依然として各地でおきている。 i西側陣営と東側陣営の軍事ブロックに ゆる ふんそう (1) 下線部aについて, 植民地を求めて軍事力による侵略を進めた動きを何というか。 (2) 下線部bについて,このころ日本は満州をめぐってある国と対立を深めていた。この対立をも とにおこった戦争で, 日本が獲得した領土を次から1つ選びなさい。 一 りょうとう ア 遼東半島 からふと イ 樺太の南半分 ちしま ウ 千島列島 たいわん I 台湾

未解決 回答数: 1