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日本史 高校生

カッコの穴埋めを教えてください!

金属器 a.鉄器 武器·工具·農具など実用具として使用された すず D.青銅器 銀と錫の合金で、主に祭器として使用された(日常は土中に埋納,祭りの時に掘り出す) 九州北部が中心 瀬戸内海中部が中心 近畿地方が中心 共通の祭器を用いる地域圏{? (3) 小国の分立 ① 争いの時代へ 農耕社会の成立 → 余剰生産物をめぐる争い → 集落の統合 →「クニ」(小国)の分立 争いの時代をあらわすもの a.軍事的集落 1集落 周囲に深い濠や土塁をめぐらせた防御的集落 いたプけ 福岡県板付遺跡、佐賀県(S 遺跡,奈良県(6 遺跡 しうでやま 戦争に備えた逃げ城的集落 瀬戸内海沿岸中心,香川県紫雲出山遺跡 b.支配者の墓 大量の副葬品をともなう獲棺墓,大きな墳丘をもつ墓(墳丘墓など)の存在 集落 3) 中国史書にみる小国の分立 前1世紀|倭は[° 頃の日本||朝鮮半島の[10 Jに分立 Jと定期的に通交 57年 倭の[12 ]が朝貢 )から印綬を授かる )の金印が志賀島で発見) 後1~2 →(13 ([14 107年 倭国王が後漢の安帝に[15 2世紀後半 倭国大乱 世紀頃の 日本 J160人を献上 (4) 邪馬台国連合 0 中国の動向後漢 → 三国時代(鍵· 真:) 2) 邪馬台国 30余国の小国連合, [ 社会 統治組織·租税 刑罰·市の制度が整う )を通じて魂に朝貢 身分社会(王一(18 J-下戸一生口) ひみこ 政治 女王卑弥呼が宗教的権威を背景に支配 祭政一致「[19 外交 239年 魂に朝貢→[20 248年頃 [21 →男王が立つも国内おさまらず 卑弥呼の宗女の(22 )を事とし能く衆を惑はす」 )の称号を得る Jとの抗争中に卑弥呼が死去 『三国志』の 3世紀頃 [16 の日本 )が女王に 266年 (22 )が晋に遣使 (以後約150年間中国史書から日本に関する記述が無くなる) )説(比較的小範囲の政治連合)…ヤマト政権は4世紀前半に別固に成立 ③ 所在地 [23 [24 説(近畿~九州にかけての政治連合)…のちのヤマト政権につながる

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日本史 高校生

カッコの穴埋めを教えてください!!

文化の始まり (1) 日本列島と日本人 0 日本列島の形成 約700万年前 )の誕生(発見場所:アフリカ) 新第三紀の中新世後期,[ )(氷河時代) 約200万年前~約1万年前 [ 氷期には海面が下降し,日本列島は大陸と3 →トウヨウゾウやナウマンゾウなどが渡来 →大型獣を追って人類も渡来(長野県野尻湖遺跡群) )であった [4 約1万年前~ 温暖になり海面が上昇し,日本列島が成立 2 日本人の形成 a.人類の進化 猿人 → 原人 → 旧人 → (5 b.日本の化石人類 発見 [6 新人段階のもの(静岡県浜北人,沖縄県( J人は南方からの渡来の可能性 (後期旧石器文化や初期の縄文文化には北方系要素もあり) J人) 特徴 c.現在の日本人 アジア大陸に住んでいた人々の子孫の縄文人と,北アジアに住んでいて弥生時代以降に渡来した 人々の混血の繰り返し (2) 旧石器時代の人々の生活 の石器時代の区分 使用石器。 ]時代 約200万年前~約1万年前 更新世 (3 J石器 )時代 約1万年前~ 完新世 (10 石器 2) 旧石器の発見 1946年,群馬県(! 確認 → 以後発見が相次ぐ ③ 石器の進化(打撃用,切断用, 槍先など) 打製石斧 → ナイフ形石器 → [13 )の関東ローム層から(12 )が打製石器を発見し,1949年 J→ (14 )(組み合わせ式,アジア北部から) の 人々の生活 a.食料獲得法 狩猟と採取 b.住居 獲物·食料を求めて移動する生活,テント式の小屋や洞穴が住まい 10人前後の小集団 C.生活集団 3)縄文文化の成立 0 自然環境の変化(約1万年前) a.縄文海進 地球の温暖化によって海面が上昇→ ['5 植物相の変化(針葉樹から落葉広葉樹,照葉樹へ) 動物相の変化(大型獣から中小獣へ) ]が大陸から切り離される b. 生物の変化

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日本史 高校生

進研模試2018年11月の日本史の過去問です。 問2で1か3までは絞れたのですが、aとbのどちらが合っているか分からないので教えてください。

2 原始·古代の対外関係に関する次の文章A~Cを読み、 下の問い(問1~11)に答えよ。 (史料は,一部省略したり, 書き改めたりしたところもある。)(配点 25) A 日本列島の人々は, 古くから中国大陸や朝鮮半島の人々と交流を行ってきた。縄文時代 晩期の紀元前5世紀から紀元前4世紀頃に, (ア大陸から水稲耕作技術が伝わり,やがて 西日本で水稲耕作を基礎とする弥生文化が成立した。農耕社会が成立すると, 土他や資源 などをめぐる集落間の抗争が始まり,強力な集落はいくつかの集落を統合して、やがて 「クニ」とよばれる政治的な勢力としてまとまり,各地に小国が成立した。中国側の歴史 書によると,紀元前1世紀頃, 日本列島は倭とよばれ, 朝鮮半島の に定期的に A 遺使していた。また(ィ1世紀中頃から2世紀前半にも倭の小国が使者を派遣して中国の 皇帝に朝貢するなど, 先進文化を持つ中国と政治的·外交的関係を持とうとしたことがう かがえる。3世紀にはっ邪馬台国を中心とする連合体が形成されたが, その女王 B も魂に朝貢し,「親熱倭王」 の称号や銅鏡を下賜されるなど関係を深めたことが中国の歴 史書に記されている。 問1 に入る語句の組合せとして正しいものを、 次の1~4のうちか 空欄 A B ら一つ選び, 番号で答えよ。 1 A 楽浪郡 B 与 2 A楽浪郡 B 卑弥呼 3 A 帯方郡 B 与 4 A 帯方郡 B 卑弥呼

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現代文 高校生

22行目のそのようなとはなんですか?🙇‍♀️

(出典 15 制0 把握するための手助けとなってく る n い Nn t 村上陽一郎 『文明のなかの科学』 「文明」の建設 C 言うまでもなく(civil)という語は、ラテン語の《civis》もしくは《civitas》から脈生でした語で、それらは「市民」あ るいは「都市」と関わり合いのある語である。したがって、(civilization》を直訳すれば「都市化」あるいは「市民化」 ということになろう。しかし、ここで「都市」や「市民」として象徴されているのはキュウキョク的には「人為」と いうことであろう。そして、その「人為」に対置されているのが「自然」である、というのが、「文明」という概念 についての私の基本的なカイシャクである。 そうだとすると、『文明」という言葉が伝えようとする根本的な原理は「自然の人為化」ということになるだろ う。実際、「文明」という言葉が誕生してみると、かつて歴史の遠い過去にも「自然の人為化」を図った例がいく つか見いだされると考えられた。そこで「エジプト文明」、「インダス文明」、「中国文明」あるいは「メソポタミア 文明」という表現が使われるようになった。もちろん言うまでもないが、それらは本来は「文化」であって、「文 明」ではなかった。 3そして再び言うまでもないが、「文化」のヨーロッパ語である(culture》の語源は本来「農耕」である。そして「農 耕」は「自然に対する人為の働き掛け」そのものであった。瀧概を利用しての穀獅の単品種農耕栽培と、その収穫 a、 つ 物の暗藤と計画的分配とが農耕社会の特徴であるとすれば、農耕社会つまりは「A 」は、「人為」と「自然」と が対置された上で、「人為」が「自然」を自然のままにホウチせず、そこに介入し、手を加える最初の試みであっ たということができる。 バ(e しかし、それと同時に農耕社会は、栽培、貯蔵と分配という、職員の生死に関わる操作へのアクセスの距離 に応じた、さまざまな制度や犠構、 あるいは慣習を、その人間集団のなかに作り出したのであった。そのため には、記録の必要も生まれ、文字や記号の使用もほとんど必然的になる。一般に「B」という概念は、とり わけそれを人間の集団に限定した上で使う限りでは(つまり、サルの「社会」あるいはアリの「社会」というように その概念を拡張しないという制約の下では)、こうしたもろもろの体制が具わった集団に対して、初めて用いら a| れると言ってよく、現在の社会学でも、それを「社会」という概念の基礎においた上で、そこからさまざまな概 念の拡張をも評容していると考えられる。そしてまた、そのような「社会」のなかに存在する、宗教的、政治的、 経済的、慣習的、言語的、倫理的、美学的……な制度や機構や、それらを支える価値観の艦猛を「文化」と呼ぶ N C

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世界史 高校生

至急ことプリントの答えが欲しいです! どなたかお願いします! すみません!

子=)ァ ①⑪ W Rモアッスト 67 Z2 店牧民とオアシス民 ジア世界の展開 GR26 アレフリフト 北アョテ N フサンドロ 5還に ジア (モンゴル高原 画 5 パラ ス大王, インダス河本に吉征 | 前4c でスキタマ)文化を学び強大化 戦 加139 前漠の使 | OO 則 前2c未 前 り 押聞合による銘皮計備 か と 思便手の時代…全期 軸 129 前江の芝 対人開始和. 東 Ph 引 東西に分 | 西域痢護に着任 東名 南北に分腰 2 )朝下でガンダーラ美術了盛 |a| 156 モンゴル高原太一 el 399 中国億(法呈)のインド旅行(412) 卑| 4c 華北に進出して北精建国 本 6c ササン朝,突際と結んで(エフタル)を制圧 |各| 5c モンゴル高原に建国 北魏と対立 層 で ソグド)人, サマルカンドを中心に活動 |寺| 552 理還 ーー 629 中国僧玄甘)のインド旅行(645) |原] 583 東西に分裂 上 648 唐,オアシス都市の便釣に安本都護府を設置 | 744 東突原を渡して建国 9 |環 (" 751) タラス河畔の戦い プ| 8 赴の("受史)の乱で唐に援 唐 9 ウイグル人.オアシス地域に定着 ル| 840 キルギスの侵入で減選 呈| 875 イラン系サーマーン)朝建還 契| 9l6 (豆 (大祖)が憲(懇丹(キタイ)旭還穫| 940頃 トルコ系カラハン)朝建国 月| 004 北宋との注消の盟 AO トルコ人の("イスラーム)化が進む 女| Il5 ('完顔向骨打)が金建国 宋 1132 石刻(カラェキタイ)の建国 算| il2627 靖応の変で北宋を減ぼす 回 1219 チンギス=ハンの西方遠征(一25) 誠 1206 チンギス=ハン,モンゴル高原統一 宙 13c マルコ=ポーロの東方旅行 |選| 1271 フビライ=ハン,国号を元(大元ウルス)とする 73 内陸アジアの地形 73 8 : (① (⑦)ー()の地名を答えよ。 0 : (②) 一の交易路は。 中国から之ばれた商品にちなんで何とよばれるか。 ァ 高原 : (3 アム川・シル川間のオアシス都市を中心に。 古くから隊商交易で活躍した : イラン系民族を何というか。 g 出馬 : 。) 半細法西伝のきっかけとなった※印の戦い (751年) を何と2が ウゥ 高原 : 工 (市名) : オ 山脈 : @② 8 ⑬ : ④⑨ : (GO : 74 74 遊牧民族史 ユーラシケ大陽北方の( ⑩ )地葵で。 導衝生活を人党麻生民族は。はやく : 果 から近降の農耕社会交渉をもち, 東西交渉の歴史の上で大きな役割を果たし : てきた。 前 7 世紀頃。 中央アジアから南ロシアにかけて勢力をもったイラン系 : ② といわれる[上人]は. 特色ある青仙器六化を形成したが, モンゴル高原で 間4 世紀頃からこの丈化の虹響を受けた[B_]が強大化した。 LB_]は @戦国時代。 徐・漠時代の中国北辺を導かしたが, 前漢( ② )帝の討伐によ : り半選し。 その後 2 度の分再をおこした。 [の革後。 双萌の中国保入を経て5 世紀になると。 モッ 錠がcモンゴル高原を支し。 五崩の一つで華北を統一した遊履民| 明である北現と対立した。 突現したが, 6世紀中順 わられることとなった。 れ。 北朝の中国議朝に 策によって東西に分裂した。 8 世紀中頃。 トルキスタンで東[| D |を江ほしたトルコ系の 0 チベットの( ④ )とともに, 力を加えた。 |は。 西方族国と唐を介する東西交易の利を得ながら,仏 : 教や( ⑨ )教 1 中国立化を大きく取り入れた。8世 : 和末頃から部族の苑散によって壮えた結果。 9 世紀に同じトルコ系のキルギス : ・ に波ほされ, 東トルキスタンに世れてイスラーム化した。 (0) |に適する民族名を答えよ。 (② 1. この時代に| B |の攻撃や支配を受けた民族を次のアーオから2つ にNR ッ ァ多入 イェフタル ゥ明 ェ欠 ォ此 2前200年に前光を破った[| B |の指導者は誰か。 (3) 分裂した| B |の一部がヨーロッパに送ったとする説があるが, 彼らは ヨーロッパで何とよばれたか。 の王: ⑪ その後。和柔伏は中央アジアに進出し, 広大な領域を : A に置いていたトルコ系の[| D |に取って代* 導衝民で初めて独自の文字をもったとき を与えたが。やがて階を建てた( ③ )大の区

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日本史 高校生

1 に入る語句が分かりません。 教えてください。お願いします

紀元前 5 世紀頃. 水稲農耕と金属器の使用を特色とする新しい文化が北部刀 州に生まれ. 西日本, 東日本へと拡大して, 北海道と南丁諸島を除く日本の大部 分の地域に農耕社会が成立した。農業の発達は階級社会生み, 余剰生産物が生 じたことで集落間の抗争が始まり, 勢力のある集落による統合によって各地に小国 が形成された。九州北部で多く見られる, 2つの。土吉を使用したりする[1 | や大きな墳丘墓の被非者は, 小国の王と見られている。 中国の歴史章によって この頃の小国の動向を部分的に知ることができるが., 小国は互いに抗争を続け, 次 第に地域ごとに小国の連合体生まれた。邪馬台国もそうした連合体と考えられ, 次に示す中国の歴史書には, そうした邪馬台国の状況が記されている。 4 いちだいそつ 「女王国より以北には特に一大率を置き, 諸国を検索せしむ。諸国これを長翌す。 常に伊都国に治す。 (中略) [2 ]. [3 ]と道路に相逢へば, 途錠して草に入り 、辞を伝へ事を説くには. あるいは 距 りあるいは 放 き、 両手は地に換り、これが 茶燥をなす。 (中貼) その国. 栄また男子を以て王となし, 住まること, 信二年 _玩国才れ。組所覆して 年を歴たり。 万ち共に一女子を立てて王となし, 名づ

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