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化学 高校生

この補足24の説明がわかりません なぜ[CH3 COO-]がその足し算でもとまるのかも意味不明です。 できるだけ丁寧に教えていただきたいです。 この補足24は、滴定曲線の弱酸と強塩基の反応において最初のグラフの傾きがなぜ強酸強塩基の反応に比べて大きいのかについての補足です。

第3章 酸と塩 が垂直に立ち上が 滴定曲線は前ペーン pHjump の中点がその である。 一方、pHが5→6への 当している。しかし、 い。このことから、 pH を1→2へ変化さ ということになる まではなかなか変化し めである。 やかに上昇していく P だけならばpH=13 20mL のNaClag ができ [mol/L] となる。 和点はpH=7となっ 考えていこう。 見つけるのは困難であ こ立ち上がっているか んど変わりはない。 よ 的に中和点の範囲内と 薬の変色域が、その なる。たとえば, 0.10 3311の広範囲に見 L) 10 (ml.) 14 20.10mol/L CH3COOHaq 10mL を 0.10 mol/L NaOHaq で滴定する場合 12 酢酸は弱酸であり,0.10mol/L における電1000 離度αを0.01 とすると,滴定開始時のpH は次の通りである。 [H+]=0.10×0.01=1×10-3 [mol/L] pH=3 NaOHaqを加えていくと, 滴定のごく初期 のpH変化は,強酸の場合に比べて思ったよ りも大きい。しかし, すぐに緩衝溶液 (p. 323) の領域に入るため, pH はあまり変化し ない状態が長く続いたあと, 中和点に近づく と,ほぼ pH 6→11の範囲でpHjump が見ら れる。 中和点を過ぎると, 過剰のNaOHのためpHは少しずつ大きくなっていく。 弱酸強塩基の滴定曲線は,一般に右上図のような形となり, 強酸−強塩基の場合に比 べると, pHjump の範囲が狭く, また全体として塩基性側に偏っている。 このような場 合, pH指示薬の選択には注意が必要である。 したがって,塩基性側に変色域をもつフェノールフタレインは,この滴定の指示薬と して使用できるが, 酸性側に変色域をもつメチルオレンジは, 中和点に達するかなり前 に変色が始まるため,この滴定の指示薬としては不適当となる。 補足 ? 滴定前には, [CH3COO-] と [H+] はいずれも1.0×10-3 〔mol/L] ずつ存在していた。 ここへ 0.10mol/L NaOHaqを1mL加えたとする。 まず, CH3COOH + NaOH→ CH3COONa+H2O の中和反応により, [CH3COONa] = 0.10× 1=(0.10×1000)+1000≒9.1×10 [mol/L] pH CH3COONa は水溶液中で完全に電離するので, 10 8 4 2 3-6 中和反応と塩317 0 酢酸 + NaOHの 中和点 HCI + NaOHの 中和点 酢酸 0.10 mol/L HCI フェノール フタレイン の変色域 [CH3COOH] [CH3COO-] メチルオレ ンジの変 色域 5 10 15 0.10 mol/L NaOHaq 滴下量 〔mL] 弱酸と強塩基の滴定曲線 [CH3COO-]=1.0×10- +9.1×10-3=1.1×10-² [mol/L] となり、滴定前に比べておよそ10倍にもなっている。 上式の中和反応後の状態を考えると, 水溶液中にはCH3COOH CH3COO+H+ の電離平衡が成り立つ。 中和反応で減少したHを補うために, 上式の電離平衡が右向きに移動するはずであるが, 中和によって生じた CH3COO による共通イオン効果 (p. 262) により, CH3COOHの電離が抑 制される結果, [H+] は滴定前に比べてかなり小さい状態で平衡状態となる。 このことは, NaOHaq 1mL加えただけで, pHが思った以上に上昇することを示す。 詳説] 弱酸に強塩基を加えて中和する場合, 混合水溶液のpHつまり [H+] がどのように変化 するかは,結局,酢酸の電離定数で決まってしまう。 変形して [CH3COO-] [H+] [CH3COOH] [H+]=Ka- Ka= 変形後の式で、中和されて生じた [CH COO-] と中和されずに残っている[CH3COOH] との [-] は塩基を少しずつ加える限り、 わずかずつしか減少しない。 Ka [CH COOH] / 「 問 問3 問

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世界史 高校生

シリアパレスチナ地方について。ヘブライ人の話が書かれているところに、「ヘブライ人は前1500年ごろに『この地』に定住し-」とありますが、この地とはどこのことを指しているのですか??教えてください!!

れたのに対し、 陽暦であった。 となったア アクエンアテ 前1334頃)は、 ■アマルナ ンのみを信 をおこなっ には終わり 伝統的な の民 自身 いた。 ライ こと すうはい 崇拝の中心であるが、 新王国 しんかんだん き、アメン=ラーが信仰され、その神官団が強い力をもった。 メソポタミアとエジプトを結ぶ地中海 1 1 シリア・パレスチナ地方の民族 東岸のシリア・パレスチナ地方には、 Canaanites 前1500年頃からカナーン人が活動していたが、 前13世紀末に現れた系統不 たみ 明の集団である「海の民」が、 前12世紀初頭にヒッタイト人の国家を滅ぼして らいしゅう Aramaeans この地に来襲した。同世紀末頃になると、アラム人・ヘブライ人・フェニキ ア人が盛んに活動しはじめた。アラム人はダマスクスを中心に内陸中継交易 に活躍し、彼らの言語であるアラム語は通商用語として西アジア各地で広く 用いられ、 アラム文字もアラビア文字などのもととなった。 10 Hebrews ヘブライ人は前1500年頃にこの地に定住し、一部はエジプトに移住した が、 前13世紀頃にはパレスチナ に戻った。 前1000年頃にヘブラ David イ人は王国を建て、 ダヴィデ王と 在位前1000頃~前960頃 Solomon ソロモン王の時代に繁栄したが、 在位前960頃~前922頃 ソロモン王の死後に王国は北と南 ☆ Israel に分裂し、 北のイスラエル王国は 前722年にアッシリアに滅ぼされ (→p.64) て、住民は強制移住させられた。 Juda 南のユダ王国も前586年に新バビ ロニアに滅ぼされて、住民の多く はその都バビロンに連れ去られた ほしゅう (バビロン捕囚)。こうした苦難の 前586~前538 キプロス島 地中海 カデシュ キ シドンア ティルス ● アラム人 ダマスクス ナザレ ガリラヤ湖 ハイファ ◎サマリア ペル・ラメセス ヤッファ イェルサレム O ベリシテト シナイ半島 ゆいいつ なかで、 ヘブライ人は唯一の神 地中海東岸の諸民族 シナイ山 ガザ 死 死海 紅海 ユーフラテス川 200km | ダヴィデ・ソロモン時代の領域 (前1000頃~前922頃) ダヴィデに従属した地域 「イスラエル王国 (前922頃~前722) ユダ王国 (922頃~前586) 15 20

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