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現代文 高校生

この技術と言うところが分かりませ。 教科書のどこを見れば分かりますか? 教えてください🙇‍♀️

た か。 そして今現在、自分と相手が立つこの状況はどういう「場」を形成しているのか。そ うしたことを読み、その上に立って、発話を行うのである。これは非常に重要な言語的技 術であるが、日本人は他の外国人たちよりもその技術に長けているのではないだろうか。 だが、私の考えでは、実は、日本人が研ぎ澄ませてきたこの技術こそが、日本人の「非論 理性」と呼ばれてしまう特質を生み出しもしているのである。 すでに述べたように、「論理」とは言葉の意味の連関性において成立するものにほかな らない。それゆえ、自分が発語したある言葉と他の言葉との連関性を明確に提示しないよ な発話は、非論理的と言われることになる。話題が脈絡なくコロコロ変わるとか、ある から次の話への飛躍が大きい、等々。あるいはまた一つの文の中でもその連関性が明確 ない場合には非論理的と言われる。 さて、なぜ日本人はそのような意味において「非論 = のだ。」と言われてしまうのだろうか。それは、コミュニケーションにおいて、連関性 相手に委ねるからだと思われる。発信する 5 2

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現代文 高校生

基礎現代文1+の11から20までの答えを見せてもらいたいです。 お願いします!

29 ステップ2 評論 []]] ② H 患者の悩み の違い 4 「個」に対する 考え方の違い 対人関係の あり方の違い の違い 【8】 ステップ2 基礎力を向上させよう かがおとひり ●読解 日本人の「個」や「対人関係」を考えてみよう 課題 同内容の記述に注目して読み進めよう 不幸な国の幸福論 加賀乙彦 (注) 心を痛め、 悩ませること。 1腐心 2個人主義 集団よりも個人に価値 日本人の本質が集団主義的かどうかはさておき、日本が欧米よりも「みんな」に自分を合わせることを強 いられる社会であり、 日本人が他者の目を強く意識するがゆえに周囲の人と同じような行動をとる傾向が 強いのはたしかでしょう。 そういう社会では、当然のことですが「個」が育ちにくい。 これは、私自身、フ ランス留学時代にいやというほど思い知らされたことでもあります。 留学する前の私は、独立した一個の 人間として確固たる自我をもち、自分というものをしっかりと主張できているつもりでいました。ところ 5 が、フランスに行ってみたら、私の「個」なんてものは、まだまだへなちょこだと気づかされた。 をおく考え方。 3近代的自我― 理性的な「わたし」。 4先ほど・・・本文直前をふまえた記 述。 なお、筆者は精神科医であり、 「統合失調症」は精神疾患の一種。 要旨をつかむために! ▼空欄を埋めていこう 【各2点】 ○文章展開図 向こうでは、まだ駆け出しの医師がコウメイな指導教授に堂々と反論します。 会議はもちろん、親しい 仲間同士でテレビ番組について論じているときでさえ、だれもが「私はこう思う」と主張し、意見が食い違 えば猛烈な論戦になる。 日本人の場合、 テレビ番組の感想程度なら、そんなことで関係を悪化させたり、 せっかくの楽しいフンイキを壊したくないと、 どちらかが相手に合わせるか、適当なところで折れあうの が一般的です。 会議などで反論するにしても、相手とぶつかって関係が悪化することのないよう言い方に 腐心する。ところがフランス人ときたら、遠慮会釈なく、がんがんぐいぐい押しまくるのです。 日 本 ( 欧米よりも) ・・・「みんな」に を 合わせることを強いられる ↓ 「個」が育ちにくい」 ・日本 相手に合わせる 3 とはいえ彼らの場合、激しく意見を戦わせあっても、人間関係が壊れるようなことは、まずありません。 会議が終わればそれ以上は引きずらず、「今日はいい議論ができた。 まだ結論が出ていないから、次回に続 きをやりましょう」などと互いを認めあう。 逆に、周囲に気をつかってはっきり自分の意見を言わない人間 15 は、軽んじられたり、何を考えているかわからないと気味悪がられてしまいます。 (注2) ・フランスー遠慮会釈ない さまざまな民族や文化がせめぎあいながら国家というものを形成してきたヨーロッパでは、個人主義や 近代的自我といった言葉が生まれる以前から、大勢の人間のなかで埋没してしまわないため、生き残って (注3) いくために、自分を主張することが求められてきたのでしょう。さらに近代に入ると、それぞれ「個」とし 自立した人間同士が互いの意見や好みを主張しあって相互理解を深めていくことで人間関係が成立する 20 のだという考え方が、欧米人のベースとなっていきます。 ・・・民族や文化がせめぎあう 「個」として自立した人間 主張 相互理解 人間関係が成立 先ほど、統合失調症の人の訴えが日仏で違うという話をしました。日本で「みんなと違ってしまった」と 悩む患者さんを見慣れていた私は、フランスの患者が「自分の個性が失われ、人と同じになってしまった」 と嘆くのを聞いて、最初、キイに感じたものでした。 しかし、その違いはまさに、 彼らとわれわれの「個」 ⑤ 日本の患者 みんなと違う 大きくとらえよう に対する考え方、対人関係のあり方が顕著にあらわれたものだったのです。 ◆要約への第一歩 【2点】 ガイドの 2行目の「他者」や「周囲」を意識する人々のあり方が、別の表現で書かれた箇所に線を引こう→問四を攻略 話 題(筆者 の主張) 欧米よりも「みんな」に合わせる ことを強いられる日本社会 問一 漢字 傍線部⑦~エについて、カタカナは漢字 問五内容 傍線部 ③ 「「個」として自立した人間」とは、 で、漢字はその読みをひらがなで書け。 各 が育ちにくい どのような人間だと言えるか。 ①段落中の語句を 用いて、三十字以内で書け。 ① 理解を深めよ う 要約のための確認【⑥⑨ 各2点】 話題(筆者の主張) 日本 欧米よりも「みんな」に合 わせることを強いられる 問二語句 波線部Aについて、「せめぎあう」の意味 として、最も適切なものを、 次から選べ。 【4点】 ⑦7 助けあう - 高めあう 罵りあう 新傾向 ...日本人 が育ちにくい ○筆者の注目している点 争いあうまじりあう 問六読解 傍線部④について、日仏の患者の違いは、 どのようにして生じるのか。 次の図の空欄を補う のに最も適切な語句を、後の選択肢から選べ。 日本人 に合わせる 問三指示傍線部 「そういう社会」とは、どのよう な社会か。 次の一文の空欄に、漢字二字の熟語を 補い、文を完成させよ。 【5点】 フランス人 +1:] 激しく意見を戦わせる ・欧米人のベース ○欧米に比べて、人々が周囲に合わせ行動するこ とを、 される社会。 自立した人間が主張しあう ⑦ 社会的な背景 M 個人的な能力 →相互理解を深める ⑦ 議論の方法 自我の定義 ( 言語の特性 が成立 【8点】 問四〇課題 傍線部②のような日本人の姿を目にすれ ば、フランス人は、どのような態度をとると考え られるか。 適切なものを、 次から二つ選べ。 問七構成 本文の特徴を説明したものとして、最も適切なものを、 次から選べ。 各 ⑦ 日本人の特質を、経験にもとづく事例をふまえて欧米と比較し、分析している。 M 日本人の抱える問題点を挙げ、欧米の事例を参考にその解決法を提案している。 (⑦) 日本人と欧米人の違いから、それぞれの社会の形成過程の違いを明らかにしている。 ⑦ 賞賛する M 不信感を抱く (⑦) 軽視する H敬意を払う (見習おうとする ④ 日本人の人間関係に関する一般論を批判しながら、独自の見解を述べている。 日本人の対人関係について、具体例を取り上げて問題点を明らかにしている。

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政治・経済 高校生

政治・経済演習ノートの47~53の答えを持っている方いらっしゃいませんか?

。 現代民主政治で ●市民運動 スメディアの報道が 権獲得を目的とした 医師会など 1.現代的無関 二打ち破れない官 壊が原因 現実性、合理性が の社会生活で欠く る権利」を いる ン (大量伝達) 〕ともよばれ がマスメディア ての世論調査 のを聞いたことがありません. られたり、興 するなど 権や反 マスメディ こが必要 必要 000 問題演習 ① 戦後政治と政党 1. 政党についての記述として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 ① 議会制民主政治が発達すると,政治上の理想や目的が多様化して,政党は解体されていった。 ② 産業革命以降は,教養と財産を持った名望家政党が中心になって政治を動かすようになった。 ③ 普通選挙権の拡大にともない, 政党の体質は,広い大衆基盤を持つ大衆政党へと変化していった。 ④ 現代では,国民の意思が国政に直接反映されているので,政党の役割は縮小した。 6 政治参加と民主政治の課題 2. 各国の政党政治についての記述として適当でないものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 ① アメリカは,共和党と自由民主党による典型的な二大政党制の国である。 ② イギリスは、保守党と労働党の二大政党制の国である。 ③ ドイツは,イタリアと同じように典型的な多党制 (小党分立制) の国である。 ④ 社会主義国家では,共産党を中心とする一党制(単独政党制)をとる国が多く、他の政 治勢力が抑圧されてきた。 3. 戦後日本の政党政治についての記述として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 ⑩ 第二次世界大戦後,政党政治が復活し, 日本自由党などの保守政党に加え, 日本共産党などの革 新政党が新たに結成された。 ②1955年には,左右に分裂していた社会党が統一され,保守政党も、日本民主党と自由党が合同 して自由民主党 (自民党)が結成され,いわゆる55年体制が確立した。 55年体制のもとで, 本格的な二大政党制を迎え, 自民党と社会党が交互に政権交代を繰り返し た。 ④ 1950年代の終わりには, 民主社会党や公明党が結成され, 自民党と社会党による55 年体制は崩壊した。 4. 1970年代以降の日本の政党政治についての記述として適当でないものを,次の ①~④のうちから 一つ選べ。 はくちゅう ① 1970年代後半になると, 与野党の議席差が接近し, 与野党伯仲国会となった。 ② 1980年代に自民党は議席を回復し、 再び優位を占めた。 ③1989年の消費税問題を争点とした参議院選挙では、与党の議席数が増え、戦後初めて与党が参 議院で過半数を占めた。 ろてい ④ 1993年には、汚職事件が相次いで露呈し,政権党への批判が高まるなかで自民党が 分裂し,内閣不信任案が可決された。 5.1990年代以降の日本の政党政治についての記述として最も適当なものを,次の①~④のうちから 一つ選べ。 ① 1993年以降,自民党が政権を担当することはなくなった。 1993年以降,選挙制度の改革によって本格的な二大政党制が確立した。 ③ 2005年,郵政民営化の是非が争点となったいわゆる郵政選挙で自民党は圧勝した。 2009年,衆議院議員総選挙で民主党が多数を占め,政権交代が実現して細川内閣が 成立した。 第1章 民主政治の基本原理と日本国憲法

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現代文 高校生

この問題が見当たらないのですがどこの問題集から出ているかわかる方いますか 勉強内容以外のことですいません

① 「都市へ」 解答・配点 理的文章 (+実用的文章 論理的文章 (+実用的文章 正解 ④ 1① ] ④ 4 8 8 ① (ウ) 2 (木) 2 58 D 28 3 設間 配点 (7) 2 44 @ee (2) 0918 計 CE (i) 4 10 ③ | (11) FEHE 23 鈴木博之 「都市へ」 「プロローグ 都市における近代とはなにか」 の一 出典 節。出題に際しやむを得ない事情により、一部省略・変更した箇所がある。 なお、写真については、編集の都合上、類似したものに変更した。(写真提 供: 時事通信フォト) 鈴木博之は、一九四五年、東京生まれ。 建築史家。東京大学工学部教授、 東京大学大学院工学系研究科教授、青山学院大学総合文化政策学部教授、博 物館明治村館長、公益財団法人明治村副理事長などを歴任。 二〇一四年、逝 去。著書に「建築の世紀末」 「建築の七つの力」「夢のすむ家 20世紀をひら いた住宅」「東京の[地霊]」 「見える都市/見えない都市まちづくり・ 建築・モニュメント」「日本の〈地霊)」 「都市の記憶」などがある。 問題文の解説 原典では各部分にこまめに小見出しがつけられており、問題文をそれを利 て分けると次のようになる。第1段落~第団 段落=「都市は単なる 器で 用し の建物やそれによって構成される町についても同じで、 つまり、日本の町や 建築は根本的に、すべては仮のもの、移ろいゆくものと見る精神、すなわち 無常の精神の上に成り立っているようである。 そこからは消えてしまったも のの名残の風情やゆかりをしのぶ精神なども浮かび上がってくる。 (7) これに対し、廃墟は移ろわずそこに厳然とそびえ続けているものである。 こういうものを建造するヨーロッパ精神には、永遠を実体として表現し、 物 理的にとどめようとする意志が感じられる。すなわち、ヨーロッパの建築や 都市は建築材料の特質ゆえに残っているというだけのものではなく、建造さ れたときから水を物理的に保証する存在として、すなわち廃墟や遺跡とし 残るべく造営されたのであり、そこには、無常ではなく、水を志向する 精神がある。 ( Ⅲ「「永遠」と「今」」 ⑨~図> ヨーロッパの都市と建築を支配し、そこにヨーロッパ特有の表情を与えて いるのは「「永遠」に連なってゆく 「時間」に対する意識の存在」である。 そして、それがヨーロッパの都市の美観を形成している。 たとえば、西欧 に比べて日本の都市が美的でなく、混乱と無秩序に満ちていると指摘される ことが多いのは、日本人の日常生活に永遠がなく、「今」しかないからだろ う。つまり、永遠に残そうなどという思いはなく、当面の役に立てばいいく らいの気持ちで、場当たり的に都市や建築を造っているのである。 それに対 して、ヨーロッパの「永遠」を志向する精神は都市建築を永遠の時間に堪 る ゆえんである。 ) えられるものとして建造しようとする。 廃墟遺跡が残る都市が美観を呈す われわれ日本人は、旅行空間を移動することであり、別の空間を味わう ことだと思い込みすぎている。ゆえに旅行先の都市や建築に時間を見出そう とする感覚が稀薄となり、それらに意識を傾注しようとしない。しかし、異 なる場所を訪れるということは、そこに流れる異なる時間の中に身を置くこ とであり、旅行とは本当は時間の体験なのである。 それがわかったとき、そ 遼」と「今」」、第四段落~第四段落=「都市を変えてゆく力/近代化の はない」、第⑤段落~第1段落=「廃墟の概念」 まり」、第2段落第2段落=「近代化と文化的アイデンティティ」。わかり やすいので、この原典の小見出しに従い、それぞれの議論の要点を整理し、 その内容をできるだけ端的に解説していくことにする。 <Ⅰ「都市は単なる器ではない」 ~団〉 いわゆる観光旅行において、実際には都市や町や建築を目にしている時間 が圧倒的に多いはずでありながら、意識はその中にある遺物、そこにまつわ る歴史や由緒あるいはみやげ物や特産品などの商品の方に向きがちであ り、都市のあり方や町並みそのもの、 建築そのものに見入るということが少 ない、そう筆者は指摘する。 それは観光の目的が都市なりなり建築なりの 中身にあると思い込んでいるからであり、都市や町や建築を単なる器にすぎ ないと思う気持ちがあるからだろう。 (12) しかし、たとえばゴシックの大聖堂が単なる入れ物としての建物ではな く、それ自体その精神世界を造形したものであるように、ヨーロッパなら ヨーロッパの都市は、その都市を造った者たちの精神を体現している。つま り、都市そのものに見入れば、そこにその都市固有の精神が現れてくるので ある。したがって、都市や建築は単なる器ではないのである。(M) しかし、それぞれの都市と建築に込められている精神とはどのようなもの か、それはどこを眺めれば解るのかという質問に直ぐに答えが出せるかとい うと、それはそう単純にはいかない。 (①) <I「廃墟の概念」⑤~回> そこで右の質問にひとつの例を以て答えてみる。 ヨーロッパの都市の精神を垣間見るのにはどこを眺めればいいのか。その 答えの一つは廃墟、遺跡である。それでは、そこにはどんな精神が見出せる のか (⑤⑥) たとえば日本の社寺は放っておくと消えて山野に戻ってしまう。それは他 の時間を体現する都市と建築の存在に目が向けられ、そこに込められた精神 に近づくことになるだろう。 (2) 《Ⅴ「都市を変えてゆく力近代化のはじまり」 (1~ 時間のなかに都市を見るとき、十八世紀までの都市のすがたと十九世紀以 後の都市のすがたとのあいだには根本的な差異が存在していることに気づ く。そして、その中でも最も顕著な差異は都市や建築の大規模化である。逆 に言えば、十八世紀までは都市や建築は中世と本質的に変わらないものを用 い続けてきたということになる。 それが十九世紀になってはじめて、都市は 急激な人口増加とそれに伴う都市改造により様相を変えたのである。(図~ この急激な変化の原因の一つは十八世紀末にはじまる産業革命とそれによ る初期の工業化社会の到来である。また、フランス革命がもたらした基本的 人権や土地改造もその後の都市の大変革に影響しなかったはずはない。さら にアメリカの独立宣言もヨーロッパ世界だけが世界の中心だとする観念を相 対化させるものであり、いずれもヨーロッパの都市を中世的なものから近代 的なものへと転換させるべく作用し、近代の土壌を用意するものであった。 《V「近代化と文化的アイデンティティ」 (22) ここでアジア諸国における近代化について考える。 近代化過程の初期においては、 アジア諸国は西欧的近代主義をモデルとし て、それに邁進してきた。 しかし、次第に西欧文明の摂取と自国の文化的ア イデンティティの両立をいかにはかるかが問題となってくる。 そこで考えら れたのが、たとえば日本の「和魂洋才」のように、技術文明と文化の価値尺 度を分離して、文化の価値尺度については自分たちの伝統的なあり方を維持 し、技術だけを西欧から摂取するという理念である。しかし、そんな 実際に可能だったのだろうか。 特に技術と生活 いると言っていい都市

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現代文 高校生

これの答えは何番だと思いますか?

観光旅行というものは、そのほとんどが都市と建集の見物なのだが、そのことに気づいている人は意外に少ない。国内でも 神社仏閣や城跡巡り、そして町歩きは旅行に欠かせないし、温泉も町の風情が楽しく、温泉旅館も建築に ったものが多く て、それがひとつの魅力になっているはずだが、そうと意識することは少ない。ファッショナブルな観光スポットも、その多一 くは新しい町角の風景や揚所としてのショッピング·センターだったりするのに、目当ては商品とショッピングだと思い込ん一 の文章は、鈴木博之「都市へ」の一節である。これを読んで、後の問い(問1~6)に答えよ。なお、設問の都合で本文の一 段落に1|~|2の番号を付してある。(配点 0) でいる。ヨーロッパ旅行なら、まず都市巡りがその中心になり、都市巡りは町歩きそのものということになる。 そこで目に一 しているのは、町並みと建築物ばかりといってもよいのだが、それもまたあまり意識されない。 。われわれが観光旅行を都市·建築見物旅行といわないのはなぜなのだろう。 たぶん、旅行では町や建築も見るが、その ー1 3たが、はたして町や建築は単なる器なのだろうか。「だとえばゴシックの大聖堂がある。明らかにそこには中世の精神世界ま」 でもが、造形的に表現されている。さらにいうならば、ヨーロッパの都市は、彼らの精神がつくり上げたものであり、その精一 なかにある遺物や、商品、あるいはそこにまつわる歴史やユイー名ョのにうが大切で、町や建築は器にすきないからだという 気持ちがあるからだろう。 神を体現したものなのだ。魅力的な都市は町並みと建築が美しい町ばかりだ。パリもロンドンもウィーンもパルセロナもブダ ペストも、みな例外ではない。 +けれとも、それでは都市と建築にはいったいどのような精神が込められていて、それは町のどこを眺めれば解るのだと問い詰一 ーロ B められると、答えはすぐには出てこない。町により、建築によってその現れは異なるからだといってみてもおなじことである。 レ 5|ひとつの答えを用意してみよう。ヨーロッパにおいては、それは廃壊、遺跡といった概念だ。 、ヨーロッパには明らかに廃 壊や遺跡が多い。とくに古代ローマの遺跡は、驚くほど広範囲にヨーロッパ中を覆っている。スコットランドに行っても、 あるいは東欧に行っても、ローマの遺跡に出会う。そこにヨーロッパ世界の拡 がりを感じることになるのだが、遺跡というものがそもそもヨーロッパ的な存」 在であるように思われるのだ。 6|石やレンガで建物をつくればそれが時代とともに廃壊となり、遺跡となる のはあたり前だといえるかもしれない。しかし、そうした建設材料の特質だけ」 が廃媒や運跡をむのだろうか。ヨーロッパの建築や都市は、生まれたときか」 らそのなかに廃壊や遺跡の葬を含んでいるのではないだろうか。これはとくに 日本人であるわれわれの感覚に照らして考えてみたい点だ。 い 日本の社寺は手をかけていなければ、消えて山野に戻ってしまうし、町や一 建築も、「方丈記」や『徒然草」を思い起こすまでもなく、どこかしら 「仮の 宿り」、あるいは「うたかたの嘘」の風情を漂わせてきた。「終の概家」 うような表現にも、移ろいつづけた果ての住居という心が垣間見られて、か えって無常を感じさせるのである。つまり、われわれの町や建築は根本的に一 仮のもの、移ろいゆくものという精神の上に成り立っているかのようである。 そこからは名残の風情、名のみが残るという精神が浮かび上がる。木造建築 によって生み出される町の伝統がそうした名所意識を生んだのだろうか。 ローマの古代遺跡 ヨーロッバでは、古代遺跡と現代都市が同居する 町が多い

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