57 ビザンツ帝国
ビザンツ帝国(東ローマ帝国)は,ゲルマン人やフン人の侵入による影響を受ける
ことが少なかった。西ローマ帝国の滅亡後,ビサザンツ皇帝は唯一のローマ呈帝とし
て高い権威を保持し,西ヨーロッパの皇帝と異なり政治だけでなく。示教において
も最高権力者であった。またビザンツ帝国は商業や(
a
となく,首都の(?
帝国は6世紀半ばには最盛期を迎え,(
)経済が衰えるこ
)がヨーロッパ最大の貿易都市として繁栄した。
Sh支)大帝のもと。旧ローマ帝国の
領土の大部分を復活させた。彼は法学者トリボニアヌスに(* A)を編纂さ
せたり,中国伝来の養蚕技術を導入して (5
上) 産業を振興するなど内政も
充実し,またこの時代には。ビザンツ文化も繁栄した。しかし,長期にわたる遠征
で国力は低下し, 彼の死後, 多くの領土が失われた。その後周辺異民族の侵入に対し,
帝国をいくつかに分け, 司令官に軍事と行政の権限を与える制度が実施された。
11世紀頃から。。皇帝は中央集権を維持することが困難となり,帝国は衰退し始め
た。13世紀になると首都(
)が(6年
国が建てられるなど国内は混乱し,15世紀半ばにオスマン帝国に滅ぼされた。
下線部aについて, ビザンツ皇帝が支配した東方教会を,西方のローマ=カ
)の攻撃を受け,( )帝
問1
トリック教会に対し何というか。