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南北朝の内しと全町幕府の成
新政)。しかし, 公家だけを重んじ,それまでのやり方を
鎌倉幕府の滅亡後,後醍醐天皇は、年。
を南北朝の内乱といい, この時代を南北朝時代ともいいまなかー
が続くなか,幕府は国ごとに任命した守護に対し, これま。
武と改め,新しい政治を始めましたうな合
を生むようになりました。特に武士たちは, 幕府との軌、まざ三
て変えてしまうような天皇中心の政治は, しだいに人々のた直に
4 主を
もだのち, どのような動きがあったのでしょうか。
めつぼう
ごだいこてんのう2
めたこ
かまくらばくふ
鎌倉幕府の滅亡後,後醍醐
けん む
しんせい
やがて
建武の新政と
南北朝の内乱
ないらん
なんぼくちょう
その国
くげ
尊上
1
ぶ し
まざ
賞をあまりもらえなかった不公平感から反発を強め、政府
武家
に成
の復活を望む気持ちを高めていきました。
あしかがたかうじB
った
これをみた足利尊氏が, 反後醍醐天皇の兵を起こして
続い
のが
よしの
なら
新たな天皇を立てると,後醍醐天皇は吉野(奈良県)に送
幕
ちょうてい
なら
つの朝廷が並び立ちました。新政は2年あまりで終わり, など
ほくちょう
後60年近くの間,全国の武士たちは,京都の北朝と言調きま
ちょう
朝の有利なほうにつき, 領地をうばい合って戦いました。きに
を南北朝の内乱といい, この時代を南北朝時代ともいいま
せいいた一方
むろまち
室町幕府の成立
と守護大名
1338年,足利尊氏は,北朝から征夷大
その
しゅ ごだいみょう
い
が続くなか,幕府は国ごとに任命した守護に対し,
けいさつけん
しょうえん
ねんぐ
けんり