学年

質問の種類

歴史 中学生

教えてください💦💦 至急です泣

●次の年表中の①~④に当てはまる語句を答えなさい。 日本のおもなできごと 57 倭の奴国の王が後漢から (②)を授かる 239 邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送る 4世紀 大和政権の統一が進む 6世紀 (4) から仏像 経典がおくられる 593 聖徳太子が摂政となる 607 小野妹子を隋に送る 645 (⑦)の改新 701 大宝律令 710 都を奈良 (平城京) に移す 794 都を京都 ((⑧)) に移す 894 ⑨) が停止される 1016 藤原道長が摂政となる 1167 平清盛が太政大臣となる 1192 源頼朝が征夷大将軍となる 1274 1281 (11) の襲来 1333 鎌倉幕府がほろびる 1338 足利尊氏が征夷大将軍となる 14世紀 (1) が (1) や明の沿岸をおそう 1404 日明貿易 (勘合貿易) が始まる 1467 (14) の乱(~1477) 1543 (1) が伝来する 549 (18)が伝来する 世界のおもなできごと |前5000~前2500年ごろ 各地で古代文明がおこる 前5世紀ごろ シャカがあらわれる 前221 (①) の始皇帝が中国を統一する 前4ごろ キリストが生まれる 1世紀ごろ (③) を通って西方から中国に仏教が伝 わる |610ごろ ムハンマドが (⑤) を開く 618 隋がほろび,(⑥)がおこる 936 (1) が朝鮮半島を統一する 13世紀 (11) 帝国が拡大する 14世紀 ヨーロッパで (12) が始まる 15世紀 ヨーロッパ人の世界進出が始まる 1492 (15) アメリカに到達する 1517 ルターが (16) を始める 573 室町幕府がほろびる 590 (19) が全国を統一する 592 (19) が朝鮮侵略を始める 603 徳川家康が征夷大将軍となる 1602 オランダ (2) が設立される

解決済み 回答数: 1
社会 小学生

このページの答え教えてください🙇‍♀️

00 社会 6 1 次の文を読み、 あとの問いに答えましょう。 やよい 日本のあゆみ ① 米がつくられるようになった時代 (弥生時代)、米を保存するためのくふうがされた建物が建てられる ようになりました。 (1) この建物を、次のア~エから選び、記号で答えましょう。 たてあな ア 竪穴住居 いせき しょいんづくり たかゆか 書院造ウ 高床倉庫 かいづか 貝塚 (2) 佐賀県のある遺跡では、(1)の建物のあとがたくさんみつかりました。 この遺跡の名前を答えましょう。 次の文を読み、あとの問いに答えましょう。 2 こふん ちょうせん 古墳がつくられ始めたころ、 中国や朝鮮半島から日本にわたってきて住みつく人たちがたくさんいま ました。こうした人たちを(①) とよんでいます。 各地の(2)たちは ( ① )のすぐれた知識や技術 を取り入れて、 古墳づくりにも役立てました。 (1) 文中の( )にあてはまることばを答えましょう。 ①② (2) 次のア~エから、(①)の人々が伝えた文化を2つ選び、 記号で答えましょう。 イキリスト教ウかなエ漢字高 ア仏教 [ ] [ ] 3 次の史料を読み、 あとの問いに答えましょう。 私のもつ富と権力を使って大仏をつくるのはやさしいが、それではみんなの心がこもった仏像はできな い。 みんなで仏教を信こうし、材料をもちより、力を合わせて大仏をつくれ。 役人は、大仏づくりのため 「農民をいじめるようなことをしてはならない。 かまぼこやかんづめとは (1)これは、743年に、ある天皇が出した大仏づくりの命令です。この命令を出した天皇はだれですか。 (2)この大仏がまつられている、 奈良にある寺を何といいますか。 明している曲を (3)各地をめぐって民衆を力づけていた僧で、大仏づくりに協力した人物はだれですか。 ] ] 4 次の問いに答えましょう。 へいあん きぞく おう 5 (1) (1) 次の文は、 平安時代のある貴族について説明したものです。 この人物はだれですか。 じ そふ この人物の3人のむすめは、つぎつぎに天皇のきさきになりました。 そして、そのむすめが生んだ 子は、順番に天皇となりました。そのため、この人物は天皇の祖父として、長い間、政治を動かしました。 せいしょうなごん ひつ (2)平安時代に清少納言が書いたずい筆を何といいますか。 (2) ]

未解決 回答数: 1
古文 高校生

芥川龍之介 羅生門 局所の指す言葉の意味は 「盗人を選ぶか、飢え死にするかということ」 だと伝わるんですけど、 本文でどこを指しているのか分かりません。 教えてください🙏

げにん らしょうもん ある日の暮方の事である。 一人の下人が、 羅生門の下で雨やみを待っていた。 にぬりは まるばしら きりぎりす 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。 ただ、 所々丹塗の剥げた、 大きな円柱に、 蟋蜂が一匹とまって いちめがさ もみえぼし すざくおおじ いる。 羅生門が、 朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、 雨やみをする市女笠や採烏帽子が、 もう二三人はあ りそうなものである。 それが、 この男のほかには誰もいない。 つじかぜ わざわい らくちゅう はく たきぎ しろ こりす ぬすびと 何故かと云うと、 この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか機饉とか云う災がつづいて起った。 そこ で洛中のさびれ方は一通りではない。 旧記によると、 仏像や仏具を打砕いて、その母がついたり、金銀の箔がつ いたりした木を、 路ばたにつみ重ねて、 薪の料に売っていたと云う事である。 洛中がその始末であるから、 羅生門 の修理などは、 元より誰も捨てて顧る者がなかった。 するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲む。 盗人 が棲む。 とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、 棄てて行くと云う習慣さえ出来た。 そこで、日の目が見えなくなると、 誰でも気味を悪るがって、 この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまっ たのである。 からす ごま その代りまた鴉がどこからか、 たくさん集って来た。 昼間見ると、 その鴉が何羽となく輪を描いて、 高い鴟尾の まわりを啼きながら、 飛びまわっている。ことに門の上の空が、 夕焼けであかくなる時には、それが胡麻をまいた ようにはっきり見えた。 鴉は、勿論、門の上にある死人の肉を、 啄みに来るのである。 もっとも今日は、 刻限 ついば こくげん ふん あお が遅いせいか、一羽も見えない。 ただ、 所々、 崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、 鴉の糞が、 点々と白くこびりついているのが見える。 下人は七段ある石段の一番上の段に、 洗いざらした紺の襖の 尻を据えて、 右の頬に出来た、 大きな面皰を気にしながら、ぼんやり、 雨のふるのを眺めていた。 にきび すいび 作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」 と書いた。 しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う 当てはない。 ふだんなら、 勿論、 主人の家へ帰る可き筈である。 所がその主人からは、四五日前に暇を出された。 前にも書いたように、 当時京都の町は一通りならず衰微していた。 今この下人が、永年、使われていた主人から、 暇を出されたのも、 実はこの衰微の小さな余波にほかならない。 だから「下人が雨やみを待っていた」 と云うより も「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」 と云う方が、 適当である。 その上、 今日の 空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。 申の刻下りからふり出した雨は、いまだ に上るけしきがない。 そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうに もならない事を、どうにかしようとして、 とりとめもない考えをたどりながら、 さっきから朱雀大路にふる雨の音 を、聞くともなく聞いていたのである。 さる こくさが 85 g 雨は、 羅生門をつつんで、 遠くから、 ざあっと云う音をあつめて来る。 夕闇は次第に空を低くして、 見上げる と、門の屋根が、 斜につき出した夢の先に、重たくうす暗い雲を支えている。 いらか いとま ついじ うえじに ていかい ほうちゃく どうにもならない事を、どうにかするためには、 手段を選んでいる遑はない。 選んでいれば、 築土の下か、道ば たの土の上で、 死をするばかりである。 そうして、この門の上へ持って来て、 犬のように棄てられてしまうばか りである。 選ばないとすれば――下人の考えは、 何度も同じ道を低徊した揚句に、 やっとこの局所へ逢着した。 しかしこの 「すれば」 は、いつまでたっても、 結局 「すれば」 であった。 下人は、手段を選ばないという事を肯定 しながらも、この 「すれば」 のかたをつけるために、 当然、 その後に来る可き 「盗人になるよりほかに仕方がな い」と云う事を、 積極的に肯定するだけの、 勇気が出ずにいたのである。 ぬすびと くさめ たいぎ ひおけ にぬり 「きりぎりす 下人は、大きな瞳をして、 それから、大儀そうに立上った。 夕冷えのする京都は、もう火桶が欲しいほどの寒さ である。 風は門の柱と柱との間を、 夕闇と共に遠慮なく、 吹きぬける。 丹塗の柱にとまっていた蟋蟀も、 もうど こかへ行ってしまった。 やまぶき かざみ あお うれえ おそれ 下人は、頸をちぢめながら、 山吹の汗疹に重ねた、 紺の襖の肩を高くして門のまわりを見まわした。 雨風の患の ない、 人目にかかる惧のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、 夜を明かそうと思ったから である。すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、 これも丹を塗った梯子が眼についた。 上なら、 人がいたにし ひじりづかたち さやばし はしご ても、どうせ死人ばかりである。 下人はそこで、腰にさげた聖柄の太刀が鞘走らないように気をつけながら、 わらぞうり 藁草履をはいた足を、 その梯子の一番下の段へふみかけた。 ようす うみ にさび それから、何分かの後である。 羅生門の楼の上へ出る、 幅の広い梯子の中段に、 一人の男が、 猫のように身をち ぢめて、 息を殺しながら、 上の容子を窺っていた。 楼の上からさす火の光が、かすかに、 その男の右の頬をぬらし ている。 短い髪の中に、赤く膿を持った面皰のある頬である。 下人は、 始めから、この上にいる者は、死人ばかり だと高を括っていた。 それが、 梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、 しかもその火をそこここと 動かしているらしい。 これは、その濁った、 黄いろい光が、隅々に蜘蛛の巣をかけた天井裏に、 揺れながら映った ので、すぐにそれと知れたのである。 この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、 どうせただの 者ではない。 くも やもり 下人は、守宮のように足音をぬすんで、 やっと急な梯子を、一番上の段まで這うようにして上りつめた。 そうし たいら て体を出来るだけ、 平にしながら、 頸を出来るだけ、 前へ出して、恐る恐る、 楼の内を覗いて見た。 しがい 見ると、楼の内には、 噂に聞いた通り、幾つかの死骸が、 無造作に棄ててあるが、 火の光の及ぶ範囲が、 思った より狭いので、数は幾つともわからない。 ただ、 おぼろげながら、 知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た 死骸とがあるという事である。 勿論、 中には女も男もまじっているらしい。 そうして、その死骸は皆、それが、か つて、生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、 土を捏ねて造った人形のように、口を開いたり手を延ばし たりして、ごろごろ床の上にころがっていた。 しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、 ぼんやりした火の 光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖の如く黙っていた。 あ おし げにん ふらん おお 下人は、それらの死骸の腐爛した臭気に思わず、 鼻を掩った。 しかし、 その手は、 次の瞬間には、もう鼻を掩う 事を忘れていた。 ある強い感情が、 ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからだ。 うずくま ひわだいろ や 下人の眼は、その時、 はじめてその死骸の中に蹲っている人間を見た。 檜皮色の着物を着た、 背の低い、痩せ

未解決 回答数: 0
古文 高校生

この問題の解答がアなのですが、なぜそうなるのかを教えてください!

SS TO PR ひとり 2 紀伊国名草郡貴志の里に、一つの道場有り。号をば貴志寺と日ふ。其の村の人等、私の寺を造れるが故に、以て字とせり。白壁の天皇の御代に、 こゑ おきな こゑas によ enn 一の優婆塞有りて、其の寺に住りき。時に寺の内に音ありて呻ひて言ひしく、「痛きかな、痛きかな」と言ひき。其の音、老大人のひのごとし。 優婆塞、初夜は、路を行く人の病を得て参り宿れるならむかと思ひ疑へり。起きて堂の内を巡り、堂を見れども人無し。其の時に塔の木有り。 未だ造らずして、久しく倒れ伏して朽ちたり。これ塔の霊ならむかと疑へり。その病みふ音、夜毎に息まず。行者聞き忍ぶること 得ぬが故に、 起きて窺ひ看るに、猶し病める人無し。然して最後夜に、常の音に倍して、大地に響きて、大きに痛み呻ふ。猶し塔の霊ならむかと疑へり。 なほ によ 明くる日つとに起きて、堂の内を見れば、其の弥勒の丈六の仏像の頸、断れ落ちて土に在り。大きなる蟻千ばかり集まり、其の頸を嚼みく だきつ。行者見て、檀越に告げ知らす。 檀越等、悲しびて、復た造り副へ奉り、恭敬し供養しき。 (『日本霊異記』) U. A い とどま によ ここ own

回答募集中 回答数: 0
日本史 高校生

この問題の答えを教えて欲しいです

10 ヤマト政権の発展右の地図を見て、下の問いに答えなさい。 「おおきみ ヤマト政権の大王を中心とする権力が拡 つくしのくにのみ 大すると, 527年に筑紫国造 ( 1 ) が右図の Aと結んで反乱をおこすなど, 地方豪族が おおむらじ 抵抗した。 6世紀初め, 大連 ( 2 )はBによ る加耶西部への支配権確立により失脚した。 ものの その後、物部氏と蘇我氏が対立した。 (1) 文中の( )に適する語句を書け。 (2) A・Bの国名をそれぞれ書け。 4 飛鳥の朝廷と文化 で、次の問いに答えよ。 ① 傍線部は西暦何年か。 (2) 傍線部は誰か。 石舞台古墳(奈良県高市郡明日香村) ら盛土がなくなり, 横穴式石室が露出している。 石室の全長は約20m. 7世紀築造とされる, 一辺約50mの墳丘をもつ大型方墳。 早い時期か 高さ約8mと全国でも有数の大きさで, 蘇我馬子の墓と伝えられる。 そがのうまこ たいかかいしん 3 ①の翌年 ②に同行し、後の大化改新で ここのはかせ 同博士となった留学生と学問僧を書け。 11推古朝の政治 次の文を読んで、下の問いに答えなさい。 おおおみ もののべのもりや I 国際的緊張の中, 国内では大臣の(1)が587年に大連の物部守屋を滅ぼ ④ 傍線部は誰か。 ずい し (2) 天皇を暗殺して権力を握った。 うまやと a II 右の写真は厩戸王 (聖徳太子) 創建と される最古の木造建築物である。 若草伽 藍跡発見で, 670年の焼失後に再建された と考えられている。 厩戸王は(3) 天皇 が即位すると, (1) とともに国家組織 をつくった。 603年に(4) を定め, 氏族単位で組織を再編成した。 翌年 には豪族に役人としての心得を説き, 外交では中国との国交を再開し た。 (1) 文中の( )に適する語句を書け。 (2) 下線部aの寺院を何というか。 (3) 下線部bについて、 右の史料Ⅲ を読んで、 次の問いに答えよ。 ① 史料中のに適する語句を書け。 ② 傍線部あは何のことか。 漢字2字で書け。 (3 この史料は一般に何というか。 (4) 下線部cについて、 右の史料 ⅣV を読ん とう (5) 中国では、の滅亡後、唐が成立した。 630年に、最初の遣唐使として派遣された 人物は誰か。 高句麗 B A 加耶諸国 IV きや、云式」と、を覧て 処の天子書を日没する処の天子に致す、無 して朝貢す。・・・・・・其の国書に曰く、「日出づる。 に曰く、2を承りては必ず諦め・・・・・・ 三年、其の王多利思比孤を遣わ 二に曰く、篤く 三宝を敬ひ・・・・・・ 無きを宗と為す。 皿一に曰く、1 を以て貴と為し、ふるこ 『隋書倭国伝) 悦ばず・・・・・・。 St C 10 三 (2) 11 (1) (2) (3) 1 (4) 2 A B 1 2 3 4 ①1 2 ② 3 ① ③ 留学生 学問僧 (5)

未解決 回答数: 1
英語 高校生

大問3の1)~5)とえんぴつマークの1)~5)をどなたか教えてください。お願いします。

3) about one hundred years ago. od 3 日本文の意味に合うように,( )内の語句を並べかえなさい. ただし、斜体の動詞は、必要に応じ て適当な形に変えること. 1) カレンは日本文化をよく知っているようだった. Karen (about, know, seemed, a lot, to) Japanese culture. 2) ビルは若いころ, 億万長者だったと言われている. Bill (be, said, a billionaire, is, to) when he was young. 3) ユウタは中学生のとき剣道をしていたようだった. Yuta (kendo, to, seemed, play) when he was in junior high school. 4) 母は午後ずっと頭痛がしていたようだった. My mother (to, have, seemed, a headache) all the afternoon. 5) その野鳥はこの国では絶滅したと考えられている. The wild bird (thought, is, die, to) out in this country. ob of riquons 次の日本文を不定詞を使って英語に直しなさい. 1) そのバンドはアジアでとても人気があるらしい. The band 2) テッドは来週の試合のために一生懸命練習しているようだ. Ted 3) この仏像は日本で作られたものだと考えられている. This Buddhist statue 4) ケンタは自分自身の部屋をほしがっているようだった. 5) あの俳優は2年前は仕事がなかったと言われている. in Asia. for the match next week. in Japan.

解決済み 回答数: 1
1/12