学年

質問の種類

現代文 高校生

模倣となぞりの教科書の読解と構成の答えが分からなくて教えて欲しいです🙇‍♀️🙏

<課題>具体例に基づいて論を構成する力を身につけよう 筆者は豊富な具体例と二項対立を提示しながら、日本の芸道におけ る身体訓練を考察していく。書道・舞踏の稽古といった事例や、自分 議論を支える文献などを参照しながら、模倣と「なぞり」、「形」と 「型」といったよく似たことばを対比させることで、日本文化における 身体のあり方という大きなテーマを言語化していくのである。筆者の 議論を参考に、具体的で説得力ある議論の組み立て方を学んでいこう。 ●構成 「模倣と「なぞり」」(一七四・1)の違いについて、本文に沿って 筆者の考えを説明しなさい。 2、「型」(一七五、1)と「形」(一七七・114) とはそれぞれどのような ものか、整理しなさい。 読解 「雪面と全身とが相呼応して、いわば両者の変転が一つの活動と して進行してゆく」 (一七五・122) とはどのようなことか、説明 なさい。 2.「『~できる』知、身に染みこんだ図式にほかならない」 (一十 ・16) とはどのようなことか、説明しなさい。 「心身態勢を内部から「なぞる』」 (一七八・144) とはどのようなこ とか、説明しなさい。 4.「型破りが『さまになる』」(一八〇.8)とはどのようなことか、 説明しなさい。 ●言語活動 1. 「なぞり」によって身につけたものにどのようなものがあるか、 話し合ってみよう。 「模倣」について自分なりのテーマを定め、「序論(問題設定)」 「本論(具体的事例に基づく考察)」 「結論(問題設定に対する自分の 答)」という構成で、八〇〇字以内で論じてみよう。

回答募集中 回答数: 0
現代文 高校生

問三、問四が分かりません。 教えてください。

次の文章は、「思考の肺活量」の一部である。これを読んであとの問いに答えなさい。 (P七十六〜P八十二) 描きたい、表現したいという衝迫だけは明確にあるが、描きたいそれが何であるかは自分でもつかめていない。 ここはこの色でなくてはならない、そこはこういう線でなければならないという必然性は紛れもなくある。 E 描きかけの画面の中のある色を別の色に置き換えたら全体をそっくり描き直さないといけないことになってしま う。そしてこれしかありえないという必然性を追う中で絵はやっと描き終わる。しかしその画業の意味を問われて も答えようがない。 〈中略〉 処する か このように、政治、ケア、描画のいずれにおいても最もだいじなことは、分からないもの、正解がないものに、分からないまま、正解がないまま、いかに正解に ということである。そういう頭の使い方をしなければならないのが私たちのリアルな社会であるのに、多くの人はそれとは反対方向にbサットウす る 分 。 かりやすい言葉、 分かりやすい説明を求めるのだ。だが本当にだいじなことは、困難な問題に直面したときに、すぐに結論を出さないで、問題が自分の中で立体的に見えてくるまでいわば c 潜水し続けるということである。 d知性に肺活量をつけるというのはそういうことである。目の前にある二者択一、あるいは二項対立にさらされ続けること、対立を前にし て考え込み、考えに考えてやがてその② 外へ出ること、それが思考の原型なのに、そうした対立をあらかじめ削除しておく、ならしておくというのが、現代、人々の思考の 趨勢であるように思えてしかたがない。 哲学はこういう趨勢にあらがって、 知性のそういう肺活量をeキタえるものである。

回答募集中 回答数: 0
英語 高校生

どちらかだけでもいいので教えてください! わからないです💦

総選挙が終わった。私は以前から投票に行くのがあまり好きではない。その根本にあるのは、「致」で はないかと思う。多数決というが、私は数を信用していない。マイナンパーとか「清き一際」とか、白一 分が敷になるのは、できれば勘弁してもらいたい。数は抽象的なもので、投票行動はそれをいわば現実」 化する。そこに何か詐欺めいたものがあるような気がする。お金もその奥型である。お金が抽象だと意一 識している人は、どれくらいいるだろうか 早くネット投票ができるようにならないかと思う。ネットのほうが投票行為の抽象性が明難になるか らである。役票所にわざわざ出掛けていくのは、「現に何かしていますよ」という結を強めるためでは うっかりすると、コンピュータがすべてを置き換える時代が来る。そんな議論が始まった。私自身は そんなことは信じていない。私の子供時代は、鎌倉の街中を牛馬が開歩していた。若い人にそう言って も、ほとんど信じてもらえない。でも、そうだったのである。その牛馬に取って代わったのは車である。 それならコンピュータが人に取って代わっても、べつに不思識はないでしょうが、車とコンピューター の違いは何か、車は運動系としての身体に取って代わった。だからタクシーの運転手さんはつねに運動 不足である。でもコンピュータに取って代わるのは、身体ではない。人の意識活動である 都市とは意識活動の政果である。その世界がコンピュータに置き換えられるのは、ごく自然である。 新聞や雑誌などは、意識活動そのものというしかない。だからネットで置き換えられる。それなら、紙」 操体はなくなるのかというと、なくならない。バソコンが導人されたころ、いまにペーパーレス時代が一 来ると言われた。いまは紙なしどころか、紙だちけである。人はある種の具体性から離れられない。 コンピュータはヒトに取って代わらない。意識活動の一部に取って代わるだけである。社会システム は意識的であることが多いから、それをコンピュータが取って代わる。では社会システム外の人間活動 とは何か。あらためて、それが間われる時代になった 養老孟司『遺言』より 間いちばん重要な二項対立を挙げよ Eそれぞれの具体例を三つずつ挙げよ ないのか

回答募集中 回答数: 0
現代文 高校生

鷲田清一さんの思考の肺活量の問題で教科書の下の部分の答えを教えていただきたいです。『思わくを測』るとはどういうことか?というのと『論理にくるんでしま』うとは、どういうことか?という問題がわかりません。

「これは何ですか?」と問われるといつも、「これはこれです」と答えるのだと言 う。そういう意味では、暖味なものを暖味なままに正確に表現する、一か所もゆ るがせにしないで、正確に、これしかないという表現へともたらすこと、これが 画家の力量である。 このように、政治、ケア、描画のいずれにおいても最もだいじなことは、分, らないもの、正解がないものに、分からないまま、正解がないまま、いかに正確 に処するかということである。そういう頭の使い方をしなければならないのが私 たちのリアルな社会であるのに、多くの人はそれとは反対方向に殺到する。分か りやすい言葉、分かりやすい説明を求めるのだ。だが本当にだいじなことは、恐 難な問題に直面した時に、すぐに結論を出さないで、問題が自分の中で立体的に" 見えてくるまでいわば潜水し続けるということである。知性に肺活量を付けると いうのはそういうことである。目の前にある二者択一、あるいは二項対立にさら ?「外へ出る」とは、ど ういうことか され続けること、対立を前にして考え込み、考えに考えてやがてその外へ出るこ」 o ④超勢 ある方向へと動 それが思考の原型なのに、 そうした対立をあらかじめ削除しておく、ならし 「論理にくるんでし ま」うとは、どういう」 ものなのか、そういうことをきちっと見極めるような視力である。そのためには、 目下の 例えば目下の自分の関心とはさしあたって接点のないような思考や表現にも触れ " ることがだいじだ。自分のこれまでの関心にはなかった別の補助線を立てること 鍛える闘 鍛練 範もる闘竹範·簡城 で、より客観的な価値の遠近法を自分の中に組み込むことがだいじなのである。 1 121|思考の肺活量 6評論 ゆるがせにしない 息が詰まる …にあらがう 暖味 圏味覚一 ことか 哲学はこういう趨勢にあらがって、知性のそういう肺活量を鍛えるものである。 人は、思いどおりにならないもの、理由が分からないものに取り囲まれて、い らだちや焦り、不満や違和感で息が詰まりそうになると、その懲ぎを突破するた一 めに、自分が置かれている状況を分かりやすい論理にくるんでしまおうとする。 その論理に立て篭もろうとする。分からないものを分からないまま放置している ことに耐えられないからだ。だから、分かりやすい物語にすぐに飛び付く。 だが、本当にだいじなことは、ある事態に直面して、これは絶対手放してはな らないものなのか、なくてもよいものなのか、あるいは絶対にあってはいけない一 ただ今/現在

回答募集中 回答数: 0
現代社会 高校生

なにをかけば良いと思いますか?

【選択問題 1】 次の文章を読んで問に答えなさい。 長野·丸子実業「いじめ自殺事件」の場合は、高校1年生の男子生徒の自殺が発端である。遺族である母 親は、彼が所属していたバレー部の上級生からいじめを受けていたが、それを学校が隠蔽しようとしたと訴 えた。さらに校長が、希死念慮(死にたいと考えること)のある生徒を無理やり登校させようとしたことが 自殺の原因であるとして、校長を殺人罪で告訴したのを手始めに、マスコミや世論を動員して猛烈に学校を 攻撃し始めたのである。 「いじめ」という言葉に社会は過剰に反応する。〈長野·丸子実業「いじめ自殺事件」〉が起きたのは 2005 年である。当時も今も、学校現場でのいじめを苦にした青少年の痛ましい自殺は後を絶たず、深刻な社会問 題になっている。マスコミが「いじめ自殺」を大きく取り上げるのは、いじめの卑劣さへの憤りが根底にあ るにしても、世間の耳目を引くに十分なネタであったためだ。だからこそ、報道はヒートアップし、いじめ 自殺に関する多くの記事が出た。しかし、それらはいずれも、いじめ被害者の訴えを無視して適切な指導を 行わず、結果的に被害者を自殺に追い込んだ教師、いじめをあくまで隠蔽しようとする、姑息で事なかれ主 義の学校や教育委員会を加害者として糾弾した。要するに、子どもや保護者は圧倒的に善であり弱者であり、 それに対して学校は、非力な子どもや保護者を抑圧する権力者として描かれた。極めて単純な二項対立であ る。 これはインターネットの世界もまったく同じだった。ネットの住人たちは、既成のマスコミをマスゴミな どと表現し、その報道姿勢を頭から疑ってかかっている。ところがいじめに関しては、ネットの住人はなぜ かマスコミの報道を疑わない。それどころか、その尻馬に乗って、加害者やその親、教師の実名、住所、顔 写真までネットに晒している。時にはまったく別人の情報がアップされてしまい、重大な人権侵害が起こる。 結局のところ、母親には極度の虚言癖があり、男子生徒の自殺の原因は母親の男子生徒に対する執勘な虐 待、言動にあることが裁判での証言から明らかになった。裁判の結果、学校生活が自殺の原因であると考え ることはできないとされ、母親の主張は退けられた上、校長の名誉を傷つけたとして、損害賠償が命じられ た。 Aメディアが基本的に、弱者の側に立とうとする姿勢はもちろん正しいと思う。だが間題は、権力 vs 弱 者などという単純な図式に固執して、あいかわらずの※ステレオタイプな弱者像に捉われていることだ。そ もそも、権カ=悪と決めつけることは、物事を判断する目をゆがめ、ひいては事実を見誤ることにつながる と思う。メディアの役割とは、虚心坦懐に対象を見つっめ、一歩一歩地道に着実に真実に迫ろうと努めること、 これに尽きると思う。とんでもない気罪を生まないためにも。 ※ステレオタイプ…多くの人に浸透している先入観、思い込み、固定観念、レッテル、偏見、差別などで物事 を深く考えず単純化して見てしまうこと。 参考資料 現代ビジネス講談社20190207の記事より一部掲載 問1.文章中の下線Aについて、この事件において、メディアがステレオタイプな弱者像にとらわれたと書いて ありますが、どういう意味か、分かりやすく説明しなさい。また、このような事件において、メディアの 報道姿勢として行ってはいけないこと、行うべきことは何かを明らかにし、メディアの在り方について、 自分の考えを解答用紙に記入しなさい。(解答枠の範囲で記入すること)

回答募集中 回答数: 0
現代文 高校生

グローバリゼーションの光と影 十一行目の 国家とそれ のそれは、どこを表していますか?

理由)ら 評論 (1) P220~ 結果こ I T 関係にあるということである。嵩政者のレベルでは、国家の再分配機能を重視しないのが 試 し(自っメそ意味)→元となる 金 現在の潮流だ。そこでは、再分配の原資である国家経済そのものが、国際競争力の強化に よってしか拡大できず、したがって再分配に予算を割くよりも、国際競争に勝てるエリー トと産業を育成すべきだという論理が唱えられやすい。☆ その結果、グローバリゼーションの被害者は国家に期待するが、国家を動かす為政者の 4 ほうは、グローバリゼーションに対応した競争の強化を唱えるという図式が出現している。 しかもそのグローバリゼーションへの対応は、「国際競争の勝利」というナショナリズム の名の下に進められているのだ。 現実の世界は、グローバリゼーション対ナショナリズムというような、単純な二項対立| では動いていない。両者を抽象的に対立させ、どちらか一方に肩入れするという議論は、 その構図自体が不毛であろう。国家という制度をどう使いこなすにしても、国家とそれを 「不毛」と く> 超える動きが共犯関係として併存している状況を把握することなしには、現実的な議論は ぜか 進まない。 為政者 肩 小熊英二 昭和三十七(-

回答募集中 回答数: 0
1/3