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世界史 高校生

右上の黒い太字「国王も開戦して勝てば....オーストリアに対して宣戦しました」のところについて質問です。 せっかく革命を起こそうとしているのに、国王が勝って王の威信が高まったり、負けて革命が終わったりしたら、革命という目的が達成されませんよね? なぜオーストリアに宣戦したの... 続きを読む

ブルジョワジーの政治参加が認められ,貧しい人びとの政治 つまり「身分による差別(支配) から財産による差別 (支配)」に 参加は、相変わらず認められなかったからです)。 50 移ったことで,一番利益を得たのはブルジョワジーだったというこ とですね。 あら そして、国民議会は憲法制定の仕事を終えて解散し,新たに立法 議会 (1791年10月~92年9月) が招集されました。 りっけん この時代の初期は、立憲君主政を主張する勢力が力を握っていま したが、徐々に共和政勢力(特にジロンド派)が台頭してきます。 ○立法議会でのおもな政治勢力 フイヤン派・・・・・・貴族階級出身者が多く, 立憲君主政を唱えました。 ジロンド派・ブルジョワジーの利害を代表し, 穏健な共和政を主 張しました。 さんがく は ジャコバン派 (山岳派)・・・・・・ 民衆 (小ブルジョワジー・貧困層・農民 など)の利害を代表し,急進的な共和政を主張しました。 しゅうどういん *少しややこしいのですが,ジャコバン派とはジャコバン修道院に拠点をお いた政治グループのことをいいます。 このなかには最初ジロンド派も含ま れていました。しかし1792年夏以降,そのジャコバン派のなかの急進的な グループが主導権を握り, 穏健なグループは去ったので, ジャコバン派と いうと急進的なグループのことだけを意味することが多いのですね。急進 的なジャコバン派については、むしろその別名である山岳派を使った方が よいのでしょうね。 なお、 山岳派とは過激なジャコバン派グループが、議 会の高い場所に議席を占めていたことが, 呼び名のもととなりました。 さんがくは ●対外戦争の開始 革命が進むにつれて,さらにさまざまな問題が起こってきました。 国内的には,物価上昇や食料不足に対する激しい民衆暴動が起 38 近代ヨーロッパ・アメリカ世界の成立 (3) こったことや、絶対王政に戻そうとする王党派グループによって, 地方での暴動が起こされたことでした。 かんしょう おど また、対外的には, ピルニッツ宣言にも見られたような、外国勢 力からの厳しい武力干渉の脅しがなされたことでした。 当時のジロンド派内閣はこのような危機を乗り切るために,また いしん 国王も開戦して勝てば王の威信が高まるし, 負ければ革命が失敗に 終わるとの計算から, オーストリアに対して宣戦しました。その結 果はというと, オーストリア・プロイセン軍が国境付近に侵入し、 ひん フランスの国土や革命そのものまでが危機に瀕してしまいました。 そんななかでフランスのナショナリズムが高まり. 義勇軍が各 ぎゅうぐん で組織されました。 フランスのナショナリズムが高まったとは, ういうことでしょう? この場合は、自分がフランス人 (国民)で るという強い自覚 (国民意識) が生まれたということですね。この とはとても重要なことなので,もう少し説明を続けます。 皆さんは,フランス人は昔から自分たちのことをフランス人だ 自覚していたと思いますか? 実はそうではないのですね。彼ら むしろ自分のことを,パリ出身者だとか,ブルゴーニュ地方の とか思っていたのです。しかし、自分の住んでいるフランスで が起こり,それをまわりの国々が押し潰そうとしていることに ついた時、彼らは自分たちのことを,狭くどこどこ地方の人間 いうより,この革命を行いつつあるフランスという国の国民な という, 強い自覚を持つようになってきたのです。 つぶ とら くろふね ばくまつ *同じように,日本人が自分たちのことを日本人だというふうに捉え になったのは、黒船が来航して圧迫を加えてきた、幕末以降のこと われていますね。 3 フランス革

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現代文 高校生

なぜ何故グローバリーゼーションが進むとナショナリズムが台頭するんですか? むしろ逆の存在では...?

言語とコミュニケーションノ 現代国際化 本と伝統文化 グローバル市場経済の影響から逃れられない私たち いま世界中の先進国の人々は、似たような服を着て、似たようなものを食べ、イン ターネットを通じて同じ画像を見ている。これはグローバリゼーションによる文化の 一元化だ。また、情報・資本・労働力・商品などが世界規模で動くようになったこと で、グローバルな市場経済システムが世界を覆いつくすようになった。さらにそうし グローバル経済のなかで生き抜いていくため、各国は、規制を緩和し自由競争を奨 励するという新自由主義的政策をとらざるをえなくなる。こうして私たちは、弱肉強 食ともいえる経済的競争の波に身をさらされるようになったのである。 私たちの直面するさまざまな問題 右のような状況は、それへの反動を生み出す。 グローバリゼーションが進行すれば するほど、それへの不安を糧にしてナショナリズムが台頭し、排外主義やマイノリテ イトの差別といった動きが強まってくる。 たとえばヘイト・スピーチの横行などは、 そうした現状を象徴したものであろう。

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世界史 高校生

空いてるところ教えてください!!😭

第2章 近代ヨーロッパ・アメリカ世界の成立 第4節 19世紀後半のヨーロッパ p.47~51 MQ (メインクエスチョン): ナショナリズム・自由主義によって、各国家はどのような歩みをたどっただろう? <クリミア戦争> <ロシアの近代化> i) ロシアの南下政策・・・ 年間を通して凍らない港 (不凍港) を求めて南へ勢力を拡大したい。 (1 から地中海へ出るルートを開拓しようとした。 立ちはだかるのは (2 )。 (3 クリミア 《 ロシア 》 目的 : 南下政策を進めるため 戦争) (1853~56年) VS 結果:露の敗北で南下政策挫折⇒1856(5パリ ① 《オスマン帝国》 ② <4 目的: ロシアの南下政策を阻止するため 条約で、 南下政策が阻止された これにより、ウィーン体制以降勢力均衡を保とうとしたヨーロッパの体制は崩壊し、自国の利害を最優先する 「国民国家」としての性格が強くなっていった。 ii) ロシアの近代化 クリミア戦争での敗北を機に、ロシアでは大規模改革が行われた。 (6 の (7 ) ・・・領主の支配から農民を解放。 But! 土地を所有するためには多額のお金を支払わなければならず、不徹底。 戦争) (1877~78年) (8 ・・・ロシアとオスマン帝国の再戦。 オスマン帝国がバルカン半島のスラヴ民族を弾圧したことを口実に、 ロシアが 干渉して勃発。 ロシアが勝利を収めるも ・・・。 イギリスの繁栄> ⅰ) (9パリス=ブリタニカ) (=イギリスの平和) ・・・ 19C 後半のイギリスでは、「王権」よりも「議会」が強いため、 「革命」ではなく 「改革」で絶頂期を迎える。 ) ・・・イギリスの繁栄を世界に誇示するために開かれた。 ① (10第1回万国博覧会 学制 制の成立… 保守党と自由党が議会選挙を争い、勝者が政権を担当する。 <イタ 当時 . ii

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