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国語 中学生

問1、2、3、5、7教えてください😰お願いします😢

回園 そのあと高等学校の学生になって京都見物に出かけ、竜安寺の庭をみた時 私はその庭一面にしきつめられた白い砂徴の上にもある、長い線たちと石のま わりの満の円とでできた幾重ものかさなりから生まれた模様が描かれているの 1 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 相撲で好きな光景のひとつは、呼び出しというか出方というか、あのたっつ け (足首を紐でしばった袴のようなもの)をつけた人物が、取組と取組の間で 土俵を、等ではききょめる姿である。一勝負ついたあと、A これから大 切な大一番がはじまる前となると、組になって土俵に上がってきて、土俵を正 面からだんだんあとずさりしながら、砂をきれいにはいてゆく。中央の仕切り 線を中心に、東と西と両側から、半円形に砂をならしながら、しだいに裏正面 までさがってゆく。そのあと、土俵の上の砂をはらい、最後に土俵の内外をて をみて、感動した。気をつけてみると、竜安寺だけでなく、大徳寺の庭の同種 の模様はもちろん、たとえば銀閣寺の庭の、砂を高くもり上げた白川砂の向月男 台にしても、やはり絶えず薬き直していかなければならないものである 私は、芸術の根のひとつは、こういうところにあるのだと思う。 O たり 寺の庭を掃除すること、それ自体を芸術と呼んだら、大製院なもののいい方に すぎまい。だが、逆に、芸術というものは、どんなに完成されきった作品の形 をとってしまったあとも、いつも、こうやって誰かが掃除して、ある軌跡をは いねいにきょめてひとつの乱れも残さないように留意する。 これはもちろん、土俵の中で勝負する力士の活動を妨害するものを除くこと とくに土俵のきわで勝負のもつれる場合の多いこの競技で、足が出たかどうか、9 指先とか瞳のごくかすったあとまで判定できるように、最初に砂をならしてお くためである。 B 在切りがはじまり、力士が塩をとりに何度も土俵の内と 外を往復したあと、いよいよ最後の仕切りに入った、その直後にも、もう一度、 土俵のまわりをはく しかし、単に競技の必要というだけでなく、見た目にもいかにも美しいあの5 ききよめ、洗い出しているべきものなのである。そういう意味で、芸術は、た えず創造的なくり返しの手をもった精神で支えられている。というより、そう いう手を求めており、その手がないと死んでしまう。だがまた、逆にいえば そうやって仕事をするのは人間の心のどこか深いところにある喜びにぴったり 合っていて、人間というものは||あるいは、ある種の人間というものはー カ 。 どうしても、そういう掃除をやらないではいられず、それがどんなに骨の折れ る仕事であろうと、結局それをやらずにはいられないということである バッハやベートーヴェンといった人びとの作品が、生まれてから百年、二百 年とたった今でも、毎日地球上のどこかで、誰かの手でひかれているというの も、この土俵や庭の掃除をしているようなものではあるまいか。そのあとをみる 草落できれいにはいたそのあとは、いつも、私に少年のころ、特には夏の朝早 く、私も、帯をもって、家の前をはいている間、私の頭に浮かんでいたことを るごとに、私たちは、その美しさにうたれる。それは、単に作品それ自体が美 しいからだけでなく、こうやってはききよめる仕事が人間の精神の労働のひと つの根本的なものにつながっているからである 思いおこさせる。そのとき、私は、いつも家の前の通りの中央からはじめて、 あとずさりしながら、自分の片手の許す限りの長さで、草蕃でもって、半円形 の波形をつけて、地をはき、それが家の壁までくると、今度は逆に通りに背中8 をむけて、また同じ半円の波型を地面につけながら、うしろにすすむ。そうい 音楽や建築や美術などは、一度鳴り響き、高くそびえたとしても、そのあと ったことを何十回かくり返しているうちに、家の前には、同じ長さと円みをも った長い波動の線が幾重にもかさなり、うねっている姿が生まれてくる。私は、 仕事の途中で何度か休んでは、その姿をふりかえって楽しみ、また最後になっ はただ誇らかにすえおかれただけというのでは、まだ完了したとはいえないの8 である。 向月台 =銀閣寺(慈照寺)の庭園にある砂盛り。高さは約一八〇センチメート て、もう一度、その全景を楽しんだ ルで、円龍形の上方を部り落とした形をしている

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現代文 高校生

教えてください🥵

もざ けんいちろう 茂木健一郎「どうすれば「ひらめく」のか」 京都の銀閣寺から南に下る「哲学の道」は、哲学者·西田幾一 多郎が散歩をしながら思索にふけったことで有名である。 私も、京都に行くたびに、「哲学の道」を散歩する。ムズカシ イことをいろいろ考えようとするのだけれども、何もひらめか」 ない。やはり、私は西田に比べてアタマが悪いんだな、と思っ ていた。 -、私だって、ふだんから全くひらめきがないわけでは一 ない。歩いているときにひらめくことがヒカクテキ多いような 気がする。それも、特別な道ではなく、毎日通っている家から 駅までの道を歩いているときに、ひらめきが訪れるようである。 なぜだろう、と考えているうちに、なるほど、と思った。 私が「哲学の道」を歩くと、周囲の景観についつい注意を奪わ に精いっぱいになって、その他のことをする暇がなくなってし まうのである。それに対して、毎日歩いている道ならば、もは や目新しいものもないから、思索に集中することができるとい れてしまう。脳が、今まさに見えている光景をニンシキするの うわけだ 西田幾多郎は、毎日のように「哲学の道」を歩いていたから こそ、さまざまな思索にふけることができたのではないか。京 都のあの一 B_明婦な道だけが、哲学の道なのではない。毎 日の生活の中で歩いているありふれた道こそが、私たち一人一 人にとっての“哲学の道,なのである。 居の中の人生」)

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日本史 高校生

空欄の箇所1つでもいいので教えてください🙏 お願いします

(4)東山文化 8代義政の頃の文化 京都の東山に[ 家園 1(慈照寺)建築 80 下層は書院造,上層は禅宗様一禅の精神、 )押板·棚·付書院 襖障子·明障子などを用いただも 2庭 園 [4る山水 ) 岩石と砂利を組み合せて象徴的な自然をつくりた あかりしょうじ 近代和風住宅の起源 慈照寺東求堂(R水IOに動が代表が *青 石庭 大徳寺大仙院庭園 造園技術に優れた山水河原者が活躍 善阿弥の東山山荘 (銀閣) 庭園 せんずいかわらもの 3 絵画 a. 水墨画 (6 専丹 )による日本水墨画の大成 「四季山水図巻」「秋冬 セ光信 応仁の乱後, 土佐派の基礎を固める 水墨画に大和絵の手法をとり入れる 正信 (7元信 b. 大和絵 )父子 能画の製作 祐乗の金工→蒔絵技術の発達 のエ 芸 (茶の湯) 茶寄合や闘茶の流行 (8利田珠光 )による[° 他系 ]の創出 のち武野紹鳴をへて利体によって完成 方専局 6 花道(生花) 立花様式の発達 の学問 豊武年中行事」 (後醍醐天皇)『職原」(北畠親房) いずれも読類 事根源 (10 -条養良 b. 古典研究 た)室町時代随一の学者 『花鳥余情』 源氏物語の注泉 a. )の著作 『[11 』(義尚への後 [1 古今伝授 ) 『古今和歌集』の解釈などの秘事を弟子に授けること (13 東常線)が宗祇に伝授して近世に及ぶ c. [14神本公送説)吉田兼倶 反本地垂述説 神道に儒学·仏教を統合

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