学年

質問の種類

理科 中学生

(3)の問題が分からないので解説してくださいm(*_ _)m 答え▶a→東 b→N c→西

(3) 翔太さんたちは、図2に示した装置を用いて実験を 行う前に、どのような実験結果になるのかを、 右の図3 を用いて話し合いました。 図3は、話し合いのために 翔太さんかかいたもので、点Pはコイルで囲まれた空間 の中央を示しており、点Pの東側には厳針を置いていま す。 次に示した【会話】 は,このときの会話の一部です。 【会話】 中の [acに当てはまる方位を. 北・東・南西からそれぞれ選び、その語を書きなさい。 また、[b]に当てはまる記号は、N・Sのうちど ちらですか。 その記号を書きなさい。 【会話】 翔太:まずは図3を使って、コイルに流した電流がつくる磁界について考えてみよう。 真紀:図3の位置に置いた磁針は,電流を流す前にはN極が北を指しているけれど、電流を 流すとN極が a を指すと考えられるね。 拓也: そうすると、点Pより東側には磁石のb極と同じような磁界ができているか ら、コイルの東側には、磁石のb 極があるのと同じだと考えられるね。 翔太:そうだね。 そして、図3の東側に棒磁石のN極を、図2のように置いたとすると,コ イルは 側に動くと考えられるよ。 真紀: それが正しければ、電流の向きを反対にすると, コイルも反対に動くと考えられるね。 拓也: そうだとすると、電流の向きを小刻みに変えながらマイクに電流を流せば、コイルと、 コイルにつながっている振動板が振動して マイクから音が出るんじゃないかな。 C 443 HE

回答募集中 回答数: 0
理科 中学生

理科の問題です。 この問題の考え方がよくわかりません。 解答は描いてある通りです。 解説していただけると嬉しいです。

回路を流れる電流の正体は、 X の電気をもった ●翔太さんたちは、図2に示した装置を用いて実験を 行う前に,どのような実験結果になるのかを、 右の図3 を用いて話し合いました。 図3は、話し合いのために 翔太さんがかいたもので、 点Pはコイルで囲まれた空間 の中央を示しており、点Pの東側には磁針を置いていま す。 次に示した 【会話】 は、このときの会話の一部です。 【会話】 中の a C に当てはまる方位を, 北・東・南西からそれぞれ選び, その語を書きなさい。 また、 b に当てはまる記号は、NSのうちど ちらですか。 その記号を書きなさい。 【会話】 Y の流れである。 a=東 b= N C=西 図3 西 HE F O 翔太 まずは図3を使って, コイルに流した電流がつくる磁界について考えてみよう。 真紀図3の位置に置いた磁針は、電流を流す前にはN極が北を指しているけれど、電流を 流すとN極が a を指すと考えられるね。 拓也:そうすると,点Pより東側には磁石の b 「極と同じような磁界ができているか らコイルの東側には、磁石の b 極があるのと同じだと考えられるね。 翔太:そうだね。 そして、図3の東側に棒磁石のN極を、図2のように置いたとすると, コ イルは C 側に動くと考えられるよ。 真紀: それが正しければ、電流の向きを反対にするとコイルも反対に動くと考えられるね。 拓也:そうだとすると、電流の向きを小刻みに変えながらマイクに電流を流せば、コイルと、 コイルにつながっている振動板が振動して, マイクから音が出るんじゃないかな。 針 f 理-8

回答募集中 回答数: 0
国語 中学生

ここの文章の客の立場にある当事者であって、その場の作用から自由であることは難しいってよく意味がわかんないです!教えてください‼️

04 いご 東京 ほんやりものを考えていて、客観ということ、客観ということばに 疑問をいだくようになった。客観は本当に客観的でありうるのか、 「一般的ないし普遍的なもの」(『大辞林』)ではないような気がするの である。 もともと、主観に対しての客観である。完全に独立して存在するよ うに考えるのがおかしい。 主と客とは、いくら自立しようとしてもな まぬが お、相対的で、互いに交流、影響し合うことを免れない。 囲碁での対局者はともに主、客の立場にある当事者であって、その 場の作用から自由であることは難しい。そばで見ている人間には、対 局者の見えないところが労せずして見えるから、岡目八目というよう なことになる。さほど棋力のない人が高段者の対局の観戦記を書ける わけである。 アメリカの事件のニュースをアメリカのメディアで知るより、イギ リスの報道の方がわかりやすく、正しいことがある。 客観的であるよ り傍観的だからであろう。味方の情報より敵の情報の方が正確だとい う不思議なことがありうるのも、やはりいわゆる客観の限界を暗示す るといってよい。 第三者的立場の傍観が客観よりも客観的であることははっきりして いる。しかし一般には、傍観は客観より信頼できない無責任なものと して軽んじてきたのは、どうして生じたのかわからないが、偏見であ 20 る。 けんか 喧嘩両成敗という。 喧嘩は主観と客観のぶつかり合いで、話し合い で解決するわけがないから、傍観の仲裁、 判定が必要になる。 裁判は原告、被告の当事者から独立した裁判官によって行われる。 普通、それで公正が保たれるが、なお裁判官でさえ当事者に近すぎる 25 PRI N* 10 15

未解決 回答数: 0