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サイボーグとクローン人間という作品の意味段落分けの仕方が分からないです。本文全てを載せてあります。解説お願いします!

サイボーグとクローン人間 山崎 正和 テレビの教養番組で、アメリカのロボット研究の現状を見た。映像による報告はさすがに生々しく、 改めて文 明の行方について考えさせられた。 研究の一つの方向は、ロボットの精神的な能力を拡張し、判断力や感情さえ持った機械を造ろうという試みで ある。 外形も二足歩行の人体に似せ、顔の表情まで再現する技術が磨かれている。 脳の働きをするコンピュータ がさらに発達すれば、ロボットが人間と手をとって街を歩く日も遠くないという。 もう一つの方向は、人間の身体の一部を機械で置き換え、脳と機械を直結するサイボーグを造ろうという動き である。 これはすでに身体障害者の補助器具として実現していて、 肩の筋肉の指令を受けて動く精妙な義手が発 明されている。 光を感受するチップで失われた視力を回復させたり、衰えた脳の中に記憶装置を埋め込む研究も 行われている。 この努力の究極の姿は、やがて人体から脳だけをそのままに残し、四肢や内臓のすべてを機械で 補強する、人間改造計画に行き着くことになるらしい。 見ていて不思議だったのは、現場の研究者も評論家もこうした研究にきわめて楽天的だということである。 ク ローン人間の研究にはあれほどの嫌悪を示し、 大統領の禁止勧告まで生んだこの国の反応とは対照的だというほ かはない。 クローン人間を忌避させているのは、人間を神の被造物と見るキリスト教の思想だろうが、 その禁忌 が機械的な人間の製造、あるいは改造には及ばないことが、印象深いのである。 合理的に考えれば、 クローン人間の誕生はおよそ非人間的な事件ではない。 それは子が親と同一の遺伝子を持 って生まれることであるが、同一の遺伝子の共有は必ずしも個性の否定にはつながらない。人間の個性は環境や 教育に左右されるところが多く、遺伝子だけで決定されないことは、自然の一卵性双生児を見れば明らかだろう。 さらにクローン人間は人造人間ではなく、卵細胞と体細胞、それに子宮を提供する人間の親がいることを忘れて はなるまい。 そこには当然、家庭が生まれ、親子の愛や葛藤も芽生えるはずであって、子どもが感情の砂漠の中 で育つ心配は少ないのである。 しかもクローン技術が人間に適用される場合、 それが優生学的改良に直結する懸念もかなり薄い。 ある能力を 持った遺伝子が複製されても、能力が強化される理由はなく、それがそのまま子どもに現れるという保証もない。 そこには再び教育の手が加わる必要があるはずだが、その過程で子どもが自我に目覚め、先天的な素質を裏切る 可能性もあるからである。 これに比べると、ロボットやサイボーグははるかに人間の恣意に従いやすく、特定の価値観や世界観の奴隷に なる危険が高い。 肉体の腕よりも強い義手は、 強いことはよいことだという思想の実現であり、より多く環境を 支配したいという無意識の願望の反映だといえる。 脳内に記憶装置を埋め込めば、思い出も忘却も意志の力で操 作することになり、人間は自分の過去すら自分で構築することになる。 クローン技術は生命の法則に対しては受動的であって、細胞核を入れ替えた後の過程に手を出すことはできな い。だが、身体を機械で置き換える技術はどこまでも能動的であり、細部まで人間の思うとおりに造り上げてし まう。しかも注意すべきことは、そうして造り上げた身体はやがて逆転して心に影響を及ぼし、人間の考え方、 生き方を思いがけぬものに変化させるということである。 人間の心がいかに身体の影響を受け、 身体と一体になって生きているかは、毎日の生活の中で実感することが できる。 病気になれば悲観的になり、運動能力が高まれば世界を見下すような気分になる。 これまでも身体の延 長として道具を使いこなし、 機械を発達させたことで人類はどれだけ傲慢になったことだろうか。 もし将来、自 分の身体そのものを機械化して数倍の力を持ち、あるいは人体に似た機械を召し使いにできたら、 人間は自分を 神か超人のように思いなすのではないだろうか。 それが倫理的によいとか悪いとか、今日の文明の中で即断することはできない。 身体が機械になり心が神にな れば、そのときは文明の全体が変わっていて、倫理のものさしも変わっているかもしれない。 しかし確かなこと はこの変化は深刻であり、 二十世紀までの文明を終わらせるおそれさえあるということである。 興味深いという より恐ろしいのは、 現代人がその可能性を十分に自覚しておらず、その無自覚がクローン人間には厳しく、サイ ボーグには甘い価値観のよじれに現れていることなのである。 紛れもなく、サイボーグ肯定の思想の背後にあるのは、近代の脳中心の人間観である。 もっといえば、心と身 体を二つに分け、心は脳に宿っていると考える先入観である。 実は二十世紀後半の哲学はこれに疑問を投げかけ、 心と身体の一体性、相互作用を重視するようになった。 しかし、科学者を含めて大多数の現代人はまだこの二元 論を信じていて、身体を取り替えても心の同一性は守れると感じている。加えて心は脳の専有物だという、 古い 常識から逃れられないでいるのである。 その上に大きいのは、現代人が個人の福祉を絶対視し、現に生きている人の幸福を至上命令と考えていること である。 障害者や高齢者に補助器具を提供し、 身体能力を回復することは正義だという世論を、現代人は疑うこ とはできない。現にサイボーグはそういう善意から研究され始めているのであって、 そうである限りこの研究を 現代文明は非難することができない。 一方、 まだ生まれていない生命、現に生きていない個人を生もうというク ローン技術には、当然この世論の追い風がないのである。 だが困ったことに、身体能力の回復から改善までの道はほんの一歩しかない。 誰しも自分の身体を十分だとは 思っておらず、 十分にしたいと願っているものの、何が十分であるかは誰も知らない。ただ人並みに生きたいと いうつつましい願いが、とかく人並みを超える競争を招くのであって、そのことは今日の消費生活を見れば明ら かだろう。たぶんサイボーグは二十一世紀の「超人」を生むのだろうが、それはニーチェの反俗思想ではなく、 平 的生活を求める庶民のいじらしい願望がもたらすことになりそうなのである。 こんなことを考えながら、私はべつに警世論を張っているつもりはない。 いつの時代にも文明は変わるもの であるし、それも合理的な「進歩」とは無関係に変化するものだろう。 ただおもしろいと思うのは、文明を変える ものが必ずしも冒険的な好奇心ではなく、ある時代に最も常識的な、社会の通念でありうるという逆説である。 人々が「危険」な好奇心を警戒しているうちに、ひそかに安全な良識がそれ自体の足もとを隠してしまう。それが 人間の悲しさというべきか、それこそが尽きない魅力の源泉だというべきだろうか。

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保健体育 高校生

1枚目の空欄、2枚目の選択教えてください🥺🫶🫶

1. 家族の機能と課題 (1) )機能 人間の社会では、どの時代、どの地域においても性に関するタブーが存在するが、 夫婦には承認されて いる。 夫婦は、安定した性生活や生殖に励むことができる。 性生殖機能は、家族の基盤を作り発展を 促す重要な機能である。 現在社会では、初婚年齢の上昇に伴い、 晩産化、 晩婚化の傾向にある。 生殖可 能な期間が短くなり生殖医療を社会が支援する方向である。 また、子供を望まない夫婦、 性的マイノリ ティのカップルの性と生殖については十分な社会的理解には至っていない。 (2) ( )機能 子供の教育は、子供の社会化と言われ、家族の愛情と責任のもので食事や排泄の自立等の基本的な日常 生活、挨拶や感謝等の礼儀作法、社会規範の遵守に必要な善悪の判断力、社会生活に必要な知識・技術 等が習得できるようにするとともに、 自我の確立を助け自立した人間としての成長を図るうえで、 教育 は重要な家族の機能であった。 現在社会においては、 家族の成員が少なくなり、子供が社会化していく うえでのコミュニケーションを習得する機会も低下し、家庭内で行われていた教育を外部に依存する傾 向がある。(学童保育、スポーツクラブ等) (3) ( 機能 ・ 伝統的な仕事は、農業、漁業、家庭内工業等の家族で従事する自営的な仕事であった。 その為、夫婦だ けでなく高齢者も子供もその能力に応じ働き手として経済的機能を担っていた。 その後、 産業構造が工 業へ転換し、 家族内で多くは成人男性が賃金労働者として外部企業に雇用され、 労働の対価として賃金 を得て家族の経済を担うようになり、 成人女性は、 教育 保護・保健の機能を担うようになった。現在 社会においては、 成人女性も社会進出するようになり、 経済機能を担うようになり、家族内で教育・保 護・保健の機能を分担していくようになった。 また、 母子世帯、 父子世帯の経済的機能への支援が必要 である。 (4) )機能 家族の中には、 自分の力で生活し、 外敵や自然災害から身を守ることが困難な乳幼児・学童・高齢者、 時には障がい者が存在しており、 家族が弱い命や財産を守り、安心して家族全員が暮らせるようにする 機能を担う必要がある。 現在社会では、防犯カメラや防犯目的で携帯電話を持たせ自衛する傾向がみら れるが、高齢化社会となり、孤立しやすくなり行政・福祉・医療の支援や法整備が求められている。 )機能 家族全員が健康に過ごせるには、働き手が減ることなく安定した経済が得られ、 家族を幸福にした。 逆 に家族が病に倒れると、 働き手の減少をもたらさすだけでなく、 治療費の出費も強いられ経済的負担は 重くなる。 普段から、 家族が病気にならないような食生活をはじめ生活環境を整え、健康の維持・増進 に努めることが重要となる。 現代社会においても、家族は生活習慣病や生活改善に取り組んでいるが、

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薬学 大学生・専門学校生・社会人

答え合わせと確認をしたいので、計算過程含め答えを教えていただけると嬉しいです🙇‍♀️よろしくお願いします🙇‍♀️

2020年度 生物薬剤学本試験問題 試験日 6月23日 試験時間 60分 学籍番号 氏名 以下の問題を読んで、 問いに対する解答を解答用紙に記入せよ。 * 解答に単位を付けること 問題1:催眠・鎮静・抗けいれん効果が知られているフェノバルビタールは弱酸性薬物であ り、そのpKa は 7.3 分子量は232 である。 pH 6.3 の緩衝液を用いて、薬物の飽和溶液を 作製し、濃度を測定すると、2.0mg/mLであった。 また、みかけの分配係数(クロロホルム /緩衝液)を測定すると、 3.0 となった。 以下の問いに答えよ。 ただし、 分子形とイオン形 の割合は Henderson Hasselbalch の式に従い、容器等にこの薬物は吸着しないものとする。 1. この緩衝液中での、薬物の① 分子形分率および ② イオン形分率をそれぞれ求めよ。 2.この緩衝液中での、薬物の① 分子形濃度および ② イオン形濃度をそれぞれ求めよ。 3. この緩衝液とクロロホルムを同量混合し、平衡に達した後の緩衝液中薬物濃度を求めよ。 4. 真の分配係数 (クロロホルム/緩衝液)を計算せよ。 5. 緩衝液を pH7.3にした場合、 pH6.3 と比べ、見かけの分配係数はどちらが大きいと考え られるか。 ①緩衝液のpHを解答欄に書け。 また pH7.3 の時の②見かけの分配係数を 求めよ。 6. 緩衝液をpH7.3 にした時の真の分配係数は、 pH6.3 の時と比べて何倍になるか。 7. この薬物 400mg を静脈内投与した後、 血漿中濃度を測定すると 10 μg/mL だった。 分布容積(L) を求めよ。 8. 分布容積の結果から、この薬物は体液中どこまで分布していると考えられるか。 以下か ら選び記号で答えよ。 (A: 血漿内にとどまる B: 細胞外液まで C: 全体液中) 9. この薬物は複数の薬物と相互作用を引き起こすことが知られている。 この相互作用が 起こる原因として、この薬物によって①どのような代謝酵素が②誘導または阻害するか らなのか答えよ。 10. この薬物の体内からの消失速度を求めたところ、血漿中濃度が 10μg/mL のとき、 2.4 mg/h であった。 全身クリアランス (mL/h)を求めよ。 ただし、この薬物の消失は 1次速度に従うものとする。 11. この薬物の尿中排泄を考えたとき、 尿のpHがアルカリ性になると、 排泄速度は A : 増加するか、 B: 減少するか、 C: 変化しないか、 どれか。 理由とともに示せ。 12. この薬物が過量投与され、 血中濃度が 50 μg/mL を越えた場合、 中毒症状・昏睡を 起こす可能性がある。 このような時、 この薬物の尿中排泄を促進するために投与すべき 薬物名 (化学式も可)を1つ示せ。 (ヒント:尿のpHを変化させる物質は?) 13. この薬物には、 プロドラッグが存在する。 そのプロドラッグの名称を以下から選び、 記号で答えよ。 (A : アミトリプチリン B: プリミドン C: ジアゼパム D: フェナセチン)

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現代文 高校生

答えが無くて、合っているか分かりません。 どなたか答えを知っている方いたら、教えて頂けませんか?宜しくお願いします。

本七分 n m w ステップ3| )度6画図を把握する しい プ ) と理徳を考える 伝田帳属 『回W0かむために! こるゆえに のからは出るとこうがあるものの、 生に対して積極的であり、 受け身ではない。それ ゴが トのでありながら、なしろ努力によって理得するものであり、 文明のぬるま湯に浸って自己満足 しているかぎり、 自覚されることはない。 海い受 件 や () に> 隣を深めよう 「監型」の哲学 約のための確 N 人間 (野性)的動物 … 出を除外しない く S にる 「るに記型にしていることが高く評当されたが、ニ十一世紀に求められるのは、 身体性を疎外しない全人 に駅JPS「かれた(野)」である"そうでなければ、 ますます先起化する情報化社会の波に国洋されて、 空な知識ばかりを頭に防め込み、みずからの身体に本来備わっている生命力を、どんどんと先掘りさせていく 『. du 筆者の注目している点 文明社会で * く り 個人間が 理ぶ2を失わ *に 的なことを言えば、高度に発達した文明社会で、人間が合理観を失わないためにも、人間 10 他の動物的側面を回復することが大切なのである。理性が突出して身体に備わる動物性が排民されてしまうと 自分が生きているのだという生命感覚もなければ、他者もまた同じ生命を生きているのだという連帯感がなくなっ に ないために… 側面 の国復 生命感覚」 連帯感 十 知的性格は感覚の外にあって之を統一するのではなく、感覚の内になければならぬ、感覚の奥に閃くもの一 でなければならぬ、然らざれば考えられた人格にすぎない。それは感ずる理性でなければならぬ の廃 (世)。 (西田焼多郎 「思薬と体験」) 学的悪修にボットウするあまり、やや肉体をおろそかにしすぎた感のある西田ですら、叡知と感覚が切って も切れない関係にあることを早くから気づいていたのである。「感ずる理性」を持ちあわせない人格者が、いくら 立脈な道徳論を振り回してみたところで、いったん生命の連帯感が逸切れてしまえば、人権の無視やら他の生命一 に対する暴力が発生してくるのは必然的である。他者の痛みを自己の痛みとして感じる能力を喪失してしまうわ 如 みだから、強い者は自分より弱い者に対しては何だってできる、ということになりかねない。したがって、道徳。 N r 2 まとめてみよう 要約に向けて一 ,主張を四十字以内で書こう。【6点】 の遺廃すら人間の内面世界における理性と〈野性)のバランスが崩れてしまったことに起因していると言っても、一 決して過言ではない。 文明を進化させることは人類に与えられた使命のひとつだと思うが、人間の〈野性)的感覚を去勢化するという (解) -こ rreN 「型型」間 した「近代」に対し、 ポストモダン(近代以後)において こrnへさ ー - FriNはさ 一 w 筆者が、他者の説の引用を通じて言おうとしたことをまとめている一文に線を引こう→問五を攻略一 は、「理性」が切り捨てたものにこ そ(「狂気」ほか、本文では「野性」)、 人間の本質があるとされる。 H回!-O >」 9」最屋年 e4 一雪映避田図 の説明として、最も適切なものを、次から選べ 現代社会において、叡知や理性を重視すべきことを述べるため。 これまでの哲学における、感覚軽視の傾向を批判するため。 理性というものが、人間の感覚の内にあることを指摘するため。 私たちの肉体に備わっている、感覚の重要性を訴えるため ニ十一世紀を見据えて、あるべき人格者の姿を提示するため。 間六事読解)傍線部@とあるが、「理性と〈野性》」のバランスが崩れたことで「道徳の退廃」 が引き起こされるのは、なぜか。解答欄に合うように、四十字以内で書け。 S N 間二(語句)波線部A「先鋭」と似た意味をもつ語句を、次か 3 営調 3 学 3 四三( 節B「逆設」の意性として、最も運切なもの を、 次から選べ。 営治 理性ばかりが重視されて動物性が排斥されることで を否定して、独自の説を展開した表現 盾しているようで、実は真理を言いあてた表現 空 自説をあえて批判し、異なる視点を提示する表現 四真理に逆らい、真っ向から対立するような表現 E結舗を先に示したうえで展問していく表現 生 2 【o) く S 問四(内容)傍線部のとあるが、筆者は、「知識偏重」がこの まま続けば、どのようなことが起こると考えているか さ 2 新間七 (内容)本書18番(PR)の文章と、本文とでは、人間のあり方について共通した考え を読み取ることができる。その考えとして最も適切なものを、次から選べ み七 2月4 も 野性的段階から進化を遂げてきたように、人類には文明を進歩させる義務がある。 高度に情報化される現代のなかで、人間も一生命であることを忘れてはいけない 人間の生命力が減退している現状を改善するには、身体感覚を鍛えるほかない 今後さらなる情報化が予測され、知性を磨く重要性も増していくだろう & 人間本来のあり方に戻るため、人間はただちに知性を捨て去るべきである。。 生 書 る。 問五0課題)傍線部のについて、筆者がここで西田幾多郎の説を引用している、その意図 漢字)傍線部の~Gについて、カタカナは漢字で、漢 字はその読みをひらがなで書け。 テップ3 評論

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国語 中学生

この問題の解き方を教えて頂きたいです🙇🏻‍♀️

3/3 > 3 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 く東京線) 米 れき 110世紀後半に科学が非常に速いスピードで進んだために、さまざまな軌幌が生 |じてきた。生活スタイルも、社会の構造も、科学の発達のために、大きく変わって きている。変化のスピードは人類がこれまでに経験してきたものと比較にはならな い。長い地球上の生命の歴史の本の、最後のページの最終行に登場してきた人類で あるのに、過去五0年あまり、 六五日の歴史の中の0.四秒あまりの短い間に、 われわれは地球環境を変え、他の生物との関係も人間同士の関係も変えつつある。 それには、当然ながら、光の部分も陰の部分もある。ある方向に科学が進歩してし まったら、昔はそうではなかったといったところでどうにもならない。現状を認識 し、そこからどうしていくのかを考えなければならない。。 二〇世紀後半は科学にとって「知の爆発」の時代であった。生命科学の分野にお いては、二一世紀もそれは続くであろう。しかし、私たちはいま、科学のもたらす 新しい知識や発見、成果をどのように生かし、コントロールしていくかを問われる 時代を迎えている。 知の活用の仕方をコントロールするには、知恵が必要である。科学の発達がわれ われにもたらす光の部分と陰の部分を考え、地域の文化·伝統·環境·経済を大切 にすると同時に、グローバルな視点ももたなくてはいけない。「時間軸と空間軸の 座標」の原点にとどまり、自分や家族、今日明日しか考えないのではなく、一〇O 年前の日本、一 ○○年前の世界、人類の誕生、恐竜が闇歩していたころ、生命の 謎生、地球 の誕生へと過去を 遡ったり、逆に何世紀か先の未来へ思いをはせてみ 8 たりしたい。また、超ミクロな素粒子や原子分子の世界を考えてみるのもよい。 遺伝、代謝などの生物学的現象、石油からゴムや繊維やプラスチックを作る化学的 現象、光や熱が伝わる物理的現象はみな光子、電子、原子、分子の相互作用で起き ているのだから。 さらに、地球、太陽系、銀河系そして宇宙の果てへと思索の旅を するのもよいだろう。こうした座標の中に置かれて初めて、人類の位置付けや科学 のもつ意味を、さらには、科学の進むべき方向を探る知恵が得られるのではないだ ろうか。 (無田始子「科学を育む」 より) (注)*軌=不具合。 *グローバルな=地球規模の。

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