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2 [春秋 戦国時代/諸子百家]
前11世紀後半,
てその地を治めさせ, 貢納と軍役の義務を課した。周王と諸侯のもとには, それぞ
れ(2)大夫· 士からなる家臣団があり,彼らにも領地が与えられた。このような
政治体制を。封建制という。 前771年,西方から侵入した(③)によって都は陥落し周
は東方の(O)に遷都し, 時代は春秋 戦国時代に突入した。春秋時代のなかば,周
王の権威が衰えると, 斉の桓公, 晋の(⑤)などの覇者が会盟を主宰して(⑥)のス
ローガンを掲げ, 一方長江流域の楚, 呉, (⑦)は王を自称して周王の権威を認めず ⑤
覇を競った。戦国時代になると黄河流域の諸侯も王を称するようになり,斉 楚·
秦·()·韓鍵 超の七雄が並び立った。この間,開発の進展によって農業生産
が向上し,鉄製農具や(④)などの普及とあいまって,多数の自営農民が現れた。商 の
工業もさかんになり,
都市がうまれ, 遠隔地間の交易に従事する大商人が活躍した。列国は。富国強兵に
努め,君主の手足となって政治を支える官僚が必要となり, これを支える思想家が
登場した。春秋時代末期の。孔子は「仁」 を広く社会国家へ及ぼす徳治主義の政治
を主張した。孔子の教えを発展させた孟子は王朝交代を天の意志とする(①)の思想
や性善説を主張した。 これに対して荷子は性悪説を唱え社会的秩序の形成には人為 O
的な外的規範である 「(@)」 によるべきだと説いた。(®)を開祖とする学派は, 孔
子の説く「仁」を家族中心の差別的な愛として批判し, 血縁をこえた博愛と平和を
説いた。老子や荘子らの道家は儒家の教えを人為的なものとして政治の要諦は「道」
に従ってあるがままの状態に逆らわない(1④)にもとづくべきだと主張した。このほ
か「法」によって国家統治すべきだとした法家や万物を陰陽の気で説明する(®)な
ど多様な分野での思想学問が説かれた。
問1 文中の空欄の~⑤に適語を入れよ。
問2 下線部a~eについて次の各問いに答えよ。
周の武王に討たれたといわれる最後の股王は誰か, 漢字2字で記せ。
b これに対して, 秦の統一以後に確立された中央集権的な支配体制は何か。
c 韓·貌·超など, 山西 河南地方でおもに使用された, 農具の形をした青銅
の貨幣は何か。漢字2字で記せ。
d 秦の富国強兵策(変法)を推進した衛出身の宰相は誰か。
e 孔子の死後に弟子たちが編集した, 孔子と弟子たちの言行録の書名は何か。
(10 駒浮大学· 12 西南学院大学より作成)
2
周が股を倒す。周は都を(O)に定め一族や功臣を各地に封建し 問10
こうしん
a
たいふ
2②
は しゃ
かいめい
かんたん
青銅の貨幣が流通し,斉の(10), 超の部郭などのような経済
(8
C
9
とくち
e
10
2
ようてい
13)
14
15)
問2a
b
a
C
d
えい
e