しとなし,
きを崇と
改え。
え)・僧
三
台)をう
つしめ
一部)
よう
って
三
コ, 幼
ことが
行い
こが
こ
れ
聖徳太子は,どのような政治を目指したのでしょうか。
聖徳太子の政治
ちょうせん
くだら
5 p.37
朝鮮半島では、6世紀に百済や新羅が勢力を
やまと
強め、大和政権と密接な交流があった伽耶地
➡p.36
へいこう
域の国々を併合しました。
➡p.37
ごうぞく
このころ日本では、地方の豪族が反乱を起こし, また大和政権
それが 4 もののべ
の中でも、蘇我氏や物部氏などの豪族が, それぞれの支持する皇
じ
おおきみ
やわ
子を大王にしようとして争いが続きました。 この争いを和らげる
だいおう
すいこ
そくい
しょうとくたいし うまやどのおうじ 2
ために女性の推古天皇が即位すると, おいの聖徳太子 ( 厩戸皇子)
基っしょう
そがのうまこ
ちゅうごく
が摂政になり, 蘇我馬子と協力しながら, 中国や朝鮮に学んで、
てんのう ②
大王 (天皇)を中心とする政治制度を整えようとしました。なかで
かん いじゅうにかい
も、かんむりの色などで地位を区別する冠位十二階の制度は,家
柄にとらわれず、才能や功績のある人物を、役人に取り立てよう
じゅうしちじょう
としたものです。また、仏教や儒学の考え方を取り入れた十七条
けんぼう 3
➡p.30
➡p.26
この憲法では、天皇の命令に従うべきことなど, 役人の心構えを示
しました。
中国では6世紀の末に、隋が南北朝を統一して強大な帝国を造
ずい
ていこく
→p.37
世紀] BCAD 1 2 3 4
文
弥生
り上げました。 そこで日本は, 東アジアでの立場を有利にし、隋
この見開きの時期 ▼
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